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9月のつぶやき(その1) [ツイート]

さあ、9月前半まできたぞ。もうちょいだ。クストリッツァのライブは楽しかったなあ。おじさんが行っても変に浮かず、かつ踊りまくれるライブってあんまないのよ。あと、本屋の中国人店員に差別的な言葉で怒鳴り散らすおっさんを見たときのイヤな感じは、今でもあれこれ考えてしまう。薄々感じてはいたけど、差別があからさまに噴き出す国になっちゃったんだなあと。そういう場面に出くわしたときにはパッと行動できる人でありたいし、そのためにはやっぱり身体に直結した思想を持たないとなあと。例えば、クストリッツァのライブで踊るのも、そうした身体性とは無縁ではない。

9/1
> ALL REVIEWSは、ホント素晴らしい試みだと思う。新刊以外のレビューってなかなか読めないじゃん。でも、10年前、20年前の本だって、初めて読むならその人にとっては新刊なわけで。
> 関東大震災における朝鮮人虐殺を知るために、ということでいろんな人が加藤直樹さんの『九月、東京の路上で』をおすすめしている。ネットで調べられることもあるけど、本で読むというのはそれとはまた異なる行為で、だからこそ本を薦めるということに意味があると思う。こういう話題では特に。
> 朝鮮人虐殺の追悼文送付を、墨田区長も取り止めるとか、ホントひどいことになってると思うよ。それだけじゃなくて、ツイッターでも「虐殺はなかった」とか「しょうがない」ってな意見が噴き出してるでしょ。「言ってもいいんだ」とお墨付きをもらった気でいるんじゃないか。
> 大統領や首相や知事や区長が、ヘイトに対して毅然とした態度を取らず、どっちもどっちって言ったり、災害死として扱ったりするだけで、お墨付きをもらった気になる権威主義者がいるんだよ。
> こーゆーのも、ホントヤバいと思う。→関東大震災の朝鮮人虐殺、ウィキペディアが一時白紙に 小池知事めぐる報道直後 https://t.co/5xaVNPn0Uf @togemaru_kより
> 続けてTLに並んだ花火大会とジム・ジャームッシュの写真が、なんとなく相似形。 https://t.co/uiIfS4Gads
> しかし、ジャームッシュの髪型は、何十年も変わらずカッコいいなあ。

9/2
> いきなり秋で、気持ちが追いつかない。
> 先週はライブに行くつもりが面倒になって取り止めちゃったので、今日はライブに行こうかなと。当日券があるかどうかはわからんが。
> つか、今から向かうと時間ギリたな。
> 地下鉄のホームで志茂田景樹先生をお見かけした。今日はいいことがありそうだ。
> 君もカゲキに生きてみないか?
> クストリッツァのライブ観つぁった。ちょっと遅刻しつぁった。でもちょー楽しかっつぁ。
> 9月は観たい映画だらけなんだけど、クストリッツァの新作もあるんだよな。
> しかし、この手のライブは飲みすぎてしまう。
> エミール・クストリッツァ&ザ・ノー・スモーキング・オーケストラのライブに行ってきた。会場はZEPP TOKYO。俺は15分くらい遅れて入場。いやー、もおニッコニコでずーっと踊りっぱなしの1時間半。クストリッツァ映画と同様の祝祭感あふれる、バルカン・ロック・ショーだった。
> エミール・クストリッツァ&ザ・ノー・スモーキング・オーケストラ、曲間をなぜかピンクパンサーのテーマ曲でつなぎ、「この素晴らしき世界」や「キャラバン」や「枯葉」のフレーズを曲に挿入するという遊び心。「カラシニコフ」のクストリッツァバージョンも聴けたし、映画の曲もいろいろやってた。
> エミール・クストリッツァ&ザ・ノー・スモーキング・オーケストラ、何が最高って、禿げたり太ったりしたおっさんたちがステージ上でキャッキャとふざけてる感じがたまらん。客席から女子ばかりステージに上げてダンス指導をするとか、ばかでかいバイオリンの弓を使って演奏するとか、何やってんのよ。
> エミール・クストリッツァのライブ、客層はちょい年齢高め。ルードな感じの人が多かったかな。俺としては、非常に居心地がいい。俺の斜め前にいた外国人の女の子が、すっごいいいノリで踊ってたのもよかったなあ。
> 俺、マイナーコードの裏打ちの曲って、基本的に好きなんだよね。だから、バルカン系の曲に惹かれるのよ。
> あと、笑える音楽ね。ゲラゲラ笑いながら踊れるライブなんて、最高じゃん。
> この写真、見てよ! https://t.co/HthCE4GQZg

9/3
> いよいよこれからファイナルエクスプレスに乗るぞ。もう、一昨日の公開から、TLにいい評判しか流れてこない。
> 列車映画というだけで、期待が二割増し。
> そういえば、宇多丸さんの『パターソン』評、よかったな。映画の構造が「韻を踏んでる」、というのは目から鱗。まさにまさに!
> 観ました! 『新感染』! ゾンビものでありながら、王道のパニック映画という感じで、まさに「面白さのつるべ打ち」でした。笑えて怖くて泣けて、どんだけサービスしてくれるんだと。
> 観る前は「懐かしい」ってどーゆーことだろ、と思ってましたが、観たら納得! 確かに、かつてのハリウッド映画っぽくて。これこれ、と興奮しました。
> ヨン・サンホ監督『新感染 ファイナル・エクスプレス』を観てきた。怖いだけじゃなくて笑えて泣けて、もう盛り盛りの韓国産ゾンビ映画。途中のあるシーンで「わわわわ」と声を上げちゃって、そこからはもう無意識の発声上映状態に。「あーバカバカ」「だからダメだって」「素手?」とかなんとか。
> ヨン・サンホ監督『新感染 ファイナル・エクスプレス』、ゾンビものでありつつ、これは王道のパニック映画だよね。危機に陥った人々がどう振る舞い、どう知恵を使うかってな映画。しかも、列車映画でもある。途中で列車を降りると思わせといて、やっぱり最後まで列車でいくのねというのが嬉しい。
> ヨン・サンホ監督『新感染 ファイナル・エクスプレス』、「一人を助けるためにみんなを危険に晒すのか」という問いが何度も出てくる。うっかり納得しそうになっちゃうけど、そーゆーことを言うのが社会的な成功者で、見捨てられそうになるのは、子供、妊婦、老人、若者、ホームレスって映画。
> ヨン・サンホ監督『新感染 ファイナル・エクスプレス』、列車の面白さは「いろんな人がたまたま乗り合わせる」ところにある。しかも、さっきまで言葉を交わさなかった人たちが、危機的な状況になると一致団結したり排除し合ったり、別々の車両に立て籠ったり。それって、実は「社会」でもあるわけで。
> ヨン・サンホ監督『新感染 ファイナル・エクスプレス』、列車を使った映画的なアイディアもたっぷり盛り込まれている。特に、車両ごとに分かれているということの効果ね。他にもネタバレしない範囲で言うなら、車窓から何が見えるのか、トイレの位置はどこにあるのか、使える道具は何なのか。
> ヨン・サンホ監督『新感染 ファイナル・エクスプレス』の主人公を演じるコン・ユって、東出昌大にちょっと似てるよね。場面によっては、大沢たかおや中村雅俊にも。あと、ちと柄の悪いおっさん役のマ・ドンソクが最高なのは当然として、冒頭にだけ出てくるトラック運転手の顔がまたいいんだ。
> 『ベイビー・ドライバー』、音楽と映像がシンクロしてる映画だとわかったあとで知ってる曲が出てくると、転調やブレイクのところで何かが起こるんだろうな、と構えちゃうってのはあるかも。期待でワクワクする反面、映画への没入ともまた違う感覚だったりして。「テキーラ待ち問題」と名付けたい。

9/4
> 映画の中で流れる音楽はどこから聞こえてくるんだろう、と思うことがある。『ベイビー・ドライバー』でベイビーがiPodで聞いている曲が観客の俺らにも聞こえるというのは、考えてみれば不思議。だって、他の登場人物には聞こえていない音なわけでしょ。主観ショットならぬ、主観音楽。
> ジャック・タチの『ぼくの伯父さん』で、電話口からテーマ曲が聞こえてくる場面があって、「あれ?」と思ったりするわけよ。多くの場合、テーマ曲って登場人物たちには聞こえていないもんじゃん。だからちょっと虚を突かれる。あ、この曲、電話をかけている相手の背後で実際に流れてたのかと。
> ジャック・タチ『ぼくの伯父さん』では、映画の終盤、突如軽快なジャズが鳴り始め、歩く人たちが曲に合わせてステップを踏んでいるように見える場面もある。あのジャズは、どこから聞こえてきたんだろう? なんだか音楽が天から降ってきたようにも思えて。
> ●ヘッドホン片耳ずつを分け合っただけの肉体関係でした
> 『ベイビー・ドライバー』の終盤では、主人公はiPodを失いヘッドホンも使えなくなる。主観音楽から、周囲と共有する客観音楽へ。
> 今野寿美『歌ことば100』読了。古語を中心に、短歌の中でよく使われる言葉を紹介した本。なんとなく意味はわかっていてもイマイチ自信がなかった言葉について、いろいろ知ることができてなるほどと思うことしきり。毎朝を意味する「あさなあさな」とか、いつか使ってみたくなる。
> 今野寿美『歌ことば100』、俺が短歌に興味をもったときに謎めいていたのが、「ごとく」という意味の「ごと」、「という」という意味の「とふ」、「以て」という意味の「もて」ってな言葉。「え、そーゆー言い方するの?」と。でも、この辺に短歌のリズムの肝があるんじゃないかと思ったりもして。
> 今野寿美『歌ことば100』、例歌もたくさん掲載されている。その中から一首。昭和27年の歌だそうだ。このさびしさに惹かれる。 ●うつしみの人皆さむき冬の夜の霧うごかして吾があゆみ居(ゐ)る  佐藤佐太郎

9/5
> セカオワとのコラボは、まだまだ大人しい。時代はエスパー伊東だ。
> 『休暇』でユロ氏がかけるジャズの曲が、『ぼくの伯父さん』の最後の空港のシーンでどこからともなく降ってくるというのに、またグッときたりして。『ベイビー・ドライバー』から、僕はあの空港の場面を連想しました。もちろん、『トラフィック』も。
> 『パターソン』で描かれていた、日々を「詩」のように眺めるということ。その例が、「韻を踏む」ってことなのかもしれない。俺らは毎日、似たような日々を送っている。でも、フラットに見える日常も、形を変える韻のように目を凝らせば以外にでこぼこしてたりするわけで、あ、それって詩じゃん。
> うろ覚ですが、赤瀬川原平さんが「偶然は続けて起こる」ってなことを書いていたのにもつながりますね。
> 「僕はもう37歳になってしまった。けれど、フィッシュマンズを聴くたびに自分はまだ23歳くらいで、何も定まっていないままふわふわと生きているような気持ちになってしまう」→冬とカモメとフィッシュマンズ - phaの日記 https://t.co/McMvhHWJdE

9/6
> 「居住先がしっかり決まっていれば、生活基盤が安定し、仕事もじっくり探せるが、それができないことが要因の一つではないか」→原発事故 福島・双葉郡の住民調査「約6割が無職」 | NHKニュース https://t.co/miovl7G0yS
> 帰宅したら「家、ついて行ってイイですか?」の録画に失敗してた! 最近、こーゆーの多いな。自分にプンスカ!
> 俳句や短歌には「題詠」ってのがあって、決められたお題を詠み込んで句や歌を作るっていうもの。例えば「青」っていうお題で考えていると、空や海はもちろん青大将とか青姦とか血管の色とかナウシカの服とか、いろんなものが「青」に引き寄せられてくる。それもまた、『パターソン』っぽいなあと。
> ちなみに、そんな風にして短歌や俳句をひねってるときは、たいてい歩いていたり、電車に揺られてたり、昼飯を食ってたり、風呂に入ってたりするときで、歩きながら詩作するパターソンに共感しちゃうわけですよ。
> ヘッドホンで音楽を聴きながら信号待ちしていて、サビに入るところで信号が変わったりするともうノリノリで歩き出す、ってなこともありがちなので、『ベイビー・ドライバー』にももちろん共感しちゃうわけですが。

9/7
> じゃあおまえらは、不倫がバレたら会社を辞めるのか?
> え、マツコの巷、河出書房だったの? 見たかった…。
> 好きな出版社は、河出書房と筑摩書房です。
> 前書き35ページ増! 旧版を持ってるけど買っちゃおうかな。名著です。 https://t.co/Oy4VBqU3Mn
> しかし、みんなそんなに他人の不倫が気になるのか。出会い系バーに行こうが、XVIDEOをブックマークしてようが、不倫してようが、それが何だって言うんだ? 犯罪じゃないんだから、仕事以外のところで何してようが大きなお世話じゃん。
> 不倫がそんなに気になるんなら、もういっそフリーセックスにしちゃえよ。そしたら、君らも怒るネタが減って、心穏やかに過ごせるだろう。
> 山尾さんのいなくなった民進党の、どこに期待すればいいってんだ?
> まあね、人のセックスが気になるってのはわかるよ。あまりにプライベートだからこそ、どんなことしてんのか知りたいとか。でもさ、それを嘲笑したり断罪したりするってのは、まあ、どんだけおきれいなのかと思うわけで。
> 自省の気持ちを込めて言うけど、ここのところ話題になってる『童貞。をプロデュース』、俺は公開当時楽しんで観ていたのよ。でも、加賀さんの告発以降、もうあの映画を前のようには楽しめないなあと思うし、かつて楽しんでいたことが棘のようにじくじくする。やっぱ、人のセックスを笑うな、ってことだ。
> 松江監督についてはどちらが正しいということ以前に、加賀さんが自らの責任で自らの言葉で語っているのに、それを受けた監督側が肉声で語ることを避け官僚的な「ご報告」しかしないというのが、俺は残念でならない。それって、そもそもの原因のひとつである不均衡な力関係そのものじゃないか。
> 「笑う」と「嗤う」の差ってのがあって、俺は最近とみに「嗤う」のってイヤだなあと思うようになっている。でもね、たぶんどっかにあるのよ「嗤いたい」っていう欲望が。それを自覚してないと、うっかりやっちゃいそうで怖いんだよ。

9/8
> 民進党、なんでこうなるんでしょう。トラブルのたびに、対処がどこかズレていて、政党としての存在価値を、自分たちで食いつぶしてるように見えます。それじゃあ困るんですが。
> 4時間の打ち合わせを終え、猛烈な眠気。
> 「デッドストック」面白いなあ。物語が大きく動く今回は、演出の仕掛けがてんこ盛り。インターホンの音や、ビデオの中に入っていくような主観ショット、あと、中村優子の「虚ろ」としか言いようがない表情にやられた。
> 「デッドストック」、残りはあと4回かな。森達也が監督する最終話が楽しみだ。

9/9
> 都内の書店にて会計してたら、隣のレジで60代くらいのおっさんが中国人の若い女性店員に「日本語わかるのか?」と大声で怒鳴ってて。あまりにひどいので、「おじさん、みっともないからやめなよ」と注意をしたんだけど、こーゆーとき何て言えばよかったのか、くよくよ悩んでしまう。
> 「みっともないから」でよかったのか。注意したなら、トラブルが解決するまで見届けるべきだったのか。罵倒されていた書店員の女性のほうに、擁護の声をかけるべきだったのか。とかとか。
> さあ、もう少ししたらダンケルクだ。カチカチカチカチ。
> 混んでんなあ。ダンケルク。カチカチカチカチ。
> クリストファー・ノーラン監督『ダンケルク』、観たよ。冒頭、市街の場面からビンビンの緊張感。からの、開けた浜辺という映像の連なりにやられた。で、そのあと兵士がひしめく桟橋へ。つうわけで、狙い撃ちされかねない狭い空間と丸見えの開けた空間を行き来することに。どちらにせよ逃げ場なし。
> クリストファー・ノーラン監督『ダンケルク』、象とネズミの時間が異なるように、救出を待つ側と救出に向かう側の時間感覚は違うということを映像化してる。で、ずーっとカチカチと時計の音がしてて、まるで時間が牢獄のように思えるのよ。だから、時間の外に出てしまったような場面がとても美しい。
> クリストファー・ノーラン監督『ダンケルク』、サウンドもすごかった。時計音だけじゃなくハンス・ジマーの音楽も強迫的なリズムを刻んでいる。あと、銃撃や爆撃の音はもちろんだけど、俺は桟橋が軋む音やコックピットのガラスがガタガタいう音が恐ろしかった。なんだかすごく脆い場所にいる気がして。
> クリストファー・ノーラン監督『ダンケルク』、水も怖いね。人が撃たれる場面よりも溺れる場面のほうが多い、という非常に珍しい戦争映画。いや数えたわけじゃないけど、印象として。この映画の息詰まる感じやカタルシスのなさは、「溺れる」ってことと関係しているんじゃないかな。
> クリストファー・ノーラン監督『ダンケルク』、徹頭徹尾、視点は個人から離れない。全体を俯瞰する視点がないというのは、大きなポイントだと思う。主人公の青年が最後に見せる表情の、なんともいえない感じとか。

9/10
> バーホーベンの『エル』を観たんだけど、日比谷のシャンテシネってTOHOシネマズになっちゃったんだね。シャンテに来てまで、ウサギとリスのイラつくやり取りを見せられるとは思わなかった。
> これから、散歩して侵略する。
> 今週は『ダンケルク』『エル』『散歩する侵略者』を観て、お腹いっぱい。むにゃむにゃ、もう食べられないよー(寝言)。
> イザベル・ユペールのお好きにどうぞってな仕草と、長澤まさみの「ああやんなっちゃうなあ」というセリフが、本日のごちそうでした。

9/11
> 仕事で不条理なダメ出しをしてくる相手から、「仕事」という概念を奪ってやりたくなる。もしくは、「ああ、やんなっちゃうな」とつぶやくか。
> これ、見たかった河出書房の回だ。花登筐、ってな名前がスッと出てくるマツコの教養ね。かと思うと、校正課の女性に仕事の話を聞いたあとに「競馬好きなんですか?」と訪ねる、それもまた教養。→夜の巷を徘徊する #夜の巷を徘徊する https://t.co/gyHtlqmqHD
> 笙野頼子『さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神』を読んだ。愛猫の死や自らの難病、両親の思い出などが、変幻自在で饒舌な語り口で綴られる私小説。明石家さんまのCMソングまで引用されてたりするからね。で、そんな身辺雑記だからこそ、今・ここにある戦争が見えてくる。
> 笙野頼子『さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神』、キッチンからも戦争は見える。つうか、作者にとっては、戦争もTPPも猫も病気も家族も、みんなつながってるんだよね。だからこそ、自分の生活、例えば「食」を自分でコントロールすることが戦いになる。なんて孤独なレジスタンス。
> 笙野頼子『さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神』では、自ら加担しているくせに「こわい世の中になりました」と宣うマスコミを「「貴族の戦前感」というへんたい様式美」、レイシストを「差別と収奪の表裏一体性をコンパクトに具現した、「無駄のない」存在」と呼ぶ。この切れ味。
> 「つまりそれがまさに、投資家の意識だったのだ。こうなると性暴力と経済収奪、ヘイトスピーチはまったく三位一体に見えてくるものだ」笙野頼子『さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神』より。そう、すっかり社会を覆っちゃったよね、この「投資家の意識」ってやつが。
> ある意味、資本主義の行き着く先、なんですよね。困ったことに。個人的には、できるだけ金融や投資といったものとは距離を置いていたいんですけど、社会を覆う言説までが笙野さんのいうところの「投資家の意識」の下にあるものばかりになっちゃってる気がして、しんどいなあと。
> 河出書房、素晴らしかったですね。働いている人たちの雰囲気も、みんなで花火を見るというあり方も。あと、ちゃんとそこにリスペクトを抱いている、マツコ・デラックスの存在も。
> そうなんですよね。競馬の写真を飾ってるのを見て、ふっと「競馬好きなんですか?」と訊ける。あれこそ、マツコ的な知性だなあと思いました。能町さんが、ツイートでしつこく絡んでくる相手に「好きな音楽の話をしましょう」と言っていたのにも似てて。
> マツコ・デラックスの校正や文芸誌についてのコメントが、いちいち的確で。でも、ついでのように振った競馬の話で、あの校正の女性のパーソナリティがふわっと伝わってくる。ホント、「会話」を大切にする人なんだなあと。あと、案内してくれた女性に必ずコーヒーやビールをすすめる優しさも。
> 僕、あの番組でマツコさんが、店に入るときやお喋りしたあとで、「ごめんねえ」って言うのが好きなんですよ。テレビのある種の「はしたなさ」を引き受けながら、決して甘んじないというか。それを、自然にやってるんですよね。

9/12
> ひどすぎる。こーゆーことが、これから増えていきそうで恐ろしい。→千羽鶴や遺品、遺骨までもが被害に。沖縄「集団自決」が起きたガマが荒らされる https://t.co/LAfGzMqU5w @togemaru_kより
> 『ワッハ ワッハハイのぼうけん 谷川俊太郎童話集』を読んだ。和田誠が絵を担当した谷川俊太郎の子供向けの3冊の本を、1冊にまとめたもので、小学館文庫から出ている。これ、素晴らしいです。隅々までナンセンスな遊び心がいっぱい。教訓よりも「ふまじめ」の楽しさを、ってなお話ばかり。
> 谷川俊太郎『ワッハ ワッハハイのぼうけん 谷川俊太郎童話集』に収録されている「けんはへっちゃら」は、俺が子供の頃に読んだ本。お話はあらかた忘れてたけど、以下の箇所が好きだったのは覚えている。「けんはおもわず、ぺるるとおならが出ちゃ… https://t.co/FxJcEZDV9s
> ワッハ ワッハハイってのは、男の子の名前。「ワッハ ワッハハイは、わっはっはとわらうとおもうだろ? ところが、ワッハ ワッハハイは、わっはっはとはわらわない。ケリレロとわらうんだ。ざまあみろ」谷川俊太郎『ワッハ ワッハハイのぼうけん 谷川俊太郎童話集』より。ざまあみりれろ。
> 谷川俊太郎『ワッハ ワッハハイのぼうけん 谷川俊太郎童話集』に出てくる、このセリフも可笑しくていいなあ。「おれは、どろぼうのおやぶんだ。こぶんはまだない」。そして和田誠のイラストのかわいさよ。 https://t.co/uqGLZhvMDq

9/13
> イラっとくるも、がまんがまんと仕事。
> わかったよ、もう許そう。今言うかねというタイミングでダメ出ししてくる者も、電車で頑なに肘を張ってスマホをいじってる者も、iTunesで曲名を最初に間違って登録した者も、すべて許そうじゃないか。
> 美しい! https://t.co/obHcKJEEpO
> 『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』を、毎日少しずつ読んでいる。編著者は佐藤文香で、若手俳人の句を集めたアンソロジー。こうやって並べると、わずか17音の俳句にも文体ってあるんだな、ということがよくわかる。
> 『天の川銀河発電所』、最初に登場する福田若之の句がとてもいい。例えば冒頭のこの句の、文字がばらばらと散るような濁点まじりのひらがなのてざわり。 ●てざわりがあじさいをばらばらに知る
> 『天の川銀河発電所』、鴇田智哉の句はどこか数学的に世界を捉えている。これとか、城跡かなんかを詠んでるんだろうけど、トポロジージョークみたい。 ●たてものの消えて見学団が来る
> つうわけで、『天の川銀河発電所』、まだ1/3も読んでないのに、付箋がどんどん減っていく。
> 『天の川銀河発電所』、北大路翼の句のなかではわりとあっさりしたこの句に惹かれた。「流石に」ってのがいいね。 ●屋上に出れば流石に涼しくて

9/14
> 日曜日に観た映画、ポール・ヴァーホーヴェン監督『エル』。ずーっと「え、そんな感じなの?」とあっけにとられ続ける130分。しょっぱな、覆面をした男に性的暴行を受けた主人公が、俺らのイメージする被害者像に収まってくれない。どころか、犯人がわかってからの展開のほうが、犯人よりも意外。
> ポール・ヴァーホーヴェン監督『エル』、主人公は俺らが勝手に想像する人物像に収まってくれない。かといって、「私は実はこーゆー女よ」と抗って主張するわけでもない。ただグイグイと好きに進んでいく。共感しづらいんだけど、彼女は誰かの共感を得るために生きているんじゃないというのが痛快。
> ポール・ヴァーホーヴェン監督『エル』、主人公だけじゃなくて、この映画に登場する女性たちは皆、俺らのイメージするようには行動してくれない。主人公の母親も、友人も、息子の結婚相手も、わぁおってな場面が用意されている。中でも怖かったのが、隣人の女性。彼女の最後のセリフには戦慄した。
> ポール・ヴァーホーヴェン監督『エル』、主人公を演じたイザベル・ユペールがとにかくすごかった。映画に出てくる「自立した女性」像をことごとく裏切っていく。ときにすごく意地悪くなるところとか、最高。車をぶつける場面も、爪楊枝の場面も、社員を問い詰める場面も、遺灰を撒く場面も。
> 日曜日に観た映画、黒沢清監督『散歩する侵略者』。黒沢作品でまさかこんなに楽しい気持ちになるとは。冒頭は黒沢清らしく、かなーり不穏。ところが、オープニングタイトルが出るところで妙にトボケた音楽が流れ、「ひょっとしてこれはコメディでは?」と。あとは、ずーっとわくしながら観てしまった。
> 黒沢清監督『散歩する侵略者』、役者陣が素晴らしくって。長谷川博己は、去年あれほど真剣に日本を救おうとしていたとは思えない飄々っぷり。そして、松田龍平の「シンちゃん」っぷりも。あとは、長澤まさみですよ。これまで観た中でもベスト。「ああ、やんなっちゃうなあ」のセリフがなぜだか泣けて。
> 黒沢清監督『散歩する侵略者』、後半の戦争の気配、特に病院のシーンのテンションの高さに「おおー」なんて思ってたら、終盤にはド派手な爆破シーンもあって特撮ヒーローもののような興奮が。観ているうちに、宇宙人と地球人、どっちに肩入れしてるのか自分でもわからないまま、「やったれー!」と。
> 黒沢清監督『散歩する侵略者』、黒沢作品を見てると、他者のわけのわからなさってのを思う。わらわらと湧いてくる人たちがゾンビに見え、空っぽな表情を浮かべる東出昌大はアンドロイドに見える。結婚相手も若者たちも、よくわからない他者だ。そんな他者と、いま一度関係を結び直す試みというか。

9/15
> ピーズ単行本のタイトル「思い出すのが面倒だ」って、最高のフレーズだな。
> しごとぢごく。プレ終電。
> そうかー。やっぱ先に『プロメテウス』を観ておいたほうがいいのかー。
> ♩オリンピックのカネとカネ~ (あソレ)
> ホント、コンパクト五輪、って何だったんだろうな。♩コンパクトコンパクト カネとカネ~
> 情報、ありがとうございます! やっぱり、プロメテウス見てからコヴェないと、ですね!
> 思い出野郎Aチームの『夜のすべて』、いいアルバムだなあ。「フラットなフロア」って曲で、ミラーボールの明かりを「僕らの肌はまだら模様」と歌うとことか、グッとくる。ceroの『Obscure Ride』、VIDEOTAPEMUSICの『世界各国の夜』の隣に並べたい、夜のアルバム。
> つか、全部カクバリズムじゃないか。
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