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4月のつぶやき(その1) [ツイート]

4月のツイートまとめも、さっさとやりましょう。抜粋編集バージョン。つっても、表記を整えたくらいだけど。『ムーンライト』『わたしは、ダニエル・ブレイク』『牯嶺街少年殺人事件』『夜は短し歩けよ乙女』『かたわれワルツ』『スウィングしなけりゃ意味がない』と、映画も読書も大充実。あと、筒井康隆の炎上と野糞の人。

4/1
> 『ムーンライト』からの間髪入れずに『レゴバットマン』。
> クリス・マッケイ監督『レゴバットマン ザ・ムービー』、最高だった。前作は「レゴでできた世界って?」ってなメタギャグが満載だったけど、今作は「ヒーロー映画」を問い直すようなメタギャグの嵐。冒頭から、ワーナーのロゴが出るところに「ロゴがどーん」ってなナレーションをかぶせたり。
> クリス・マッケイ監督『レゴバットマン ザ・ムービー』、レゴ人形の可動域の小さな動きがかわいいんだよな。あのだだのこねかたとか、爆笑。あと、小さなレゴだからこそ際立つ、バットケイブでのひとりぼっち感とかも可笑しかった。数カ所実写になるところがあるんだけど、これまた気が利いてる。
> クリス・マッケイ監督『レゴバットマン ザ・ムービー』、吹き替え版で観たんだけど、ロビン役は小島よしおだったのか。どうりで「おっぱぴー」とか言ってたわけだ。でも、それはさほど気にならず、むしろ役になじんでたと思う。エンドロールでジャニーズの曲が流れたのは、ちょっと気に障った。
> バリー・ジェンキンス監督『ムーンライト』、素晴らしかった。周囲と自分は違う世界を生きているんじゃないか、というような孤独感がひたひたと伝わってくるような映像にやられてしまった。一人で踊る少年が、その孤独を抱えたまま青年になり大人になる。うつむきがちなその背中から、目が離せない。
> バリー・ジェンキンス監督『ムーンライト』、少年時代のパートでまず目に飛び込んでくるのは主人公の背負った青いリュックサック。青年時代のパートでも、主人公はリュックサックを抱きしめるように胸に抱える。リュックサックは、孤独な者の家であり友でもある。
> バリー・ジェンキンス監督『ムーンライト』、大人になってからのパートでは、主人公はもうリュックサックを持ってはいない。手ぶらでストリートに出ていくくらい、タフになっているように見える。。でも、別の人物がリュックを背負ってるんだよな。そのことに、グッときてしまう。
> バリー・ジェンキンス監督『ムーンライト』、セリフがとても少ない映画なんだけど、数少ないセリフがとても胸にしみる。特に、大切なことは海を前にして語られる。だから、最後のパートで波の音が聞こえてきたときに、ああ、海が近いんだと思って、またグッときてしまう。

4/2
> 久々に腰痛気味。ギミーシェルター。
> 腰は痛いが、今日も映画に。初ケン・ローチ。略して、ハツケン。
> それにしても新宿武蔵野館のラインナップの渋さよ。
> 『わたしはダニエル・ブレイク』、すごくよかった。なんか真っ直ぐ帰る気になれず、喫茶店で余韻に浸っている。
> 思い出すだに涙がこみ上げてくるな。
> なんか、ちょっとしたディテールを思い出して、うるうるきてます。ダニエルのニットキャップとか。
> そうなんですよ。ダニエルの隣でパソコンを教えてあげる若者とか、あーゆー小さな親切の積み重ねで社会はなんとか保たれているんだと思います。
> ケン・ローチ監督『わたしは、ダニエル・ブレイク』、心臓病で離職した主人公が国から手当を打ち切られ、役所の官僚主義的な対応に必死で立ち向かうという映画。淡々とした地味な映画だと思うでしょ。でも、当人にしてみれば淡々となんかしてらんない大問題なわけで、観ていて何度も心が揺さぶられた。
> ケン・ローチ監督『わたしは、ダニエル・ブレイク』、主人公のダニエルはどんどん追いつめられていく。それでも困っているシングルマザーに手を差し伸べるし、彼もまた誰かから小さな親切を受け取ることがある。彼は、そうすることで辛うじて社会が保たれていることを知っているのだ。
> ケン・ローチ監督『わたしは、ダニエル・ブレイク』、元大工のダニエルは知り合ったシングルマザーの親子に、手作りのモビールや本棚をプレゼントする。お金を渡す代わりに、自分ができることをする。その尊さ。生活の足しにはならなくても、部屋の飾りや本棚が尊厳を保つ助けになるってことだ。
> ケン・ローチ監督『わたしは、ダニエル・ブレイク』、ダニエルは役所へ図書館へ求職活動へとひたすら歩き回る。そんな場面のところどころに、杖をついた人、車椅子の人などの姿が見える。それは背景だけど、背景じゃない。ダニエル同様、この社会の隣人の姿だということに改めて気づかされる。
> ケン・ローチ監督『わたしは、ダニエル・ブレイク』、ダニエルは隣人であり明日の俺らかもしれない、というだけじゃ十分じゃないな。とりつくしまのない役所の職員も、ダニエルに喝采を贈るホームレスもまた、明日の俺らかもしれない。社会は誰か一人が作ってるわけじゃないからね。
> ケン・ローチ監督『わたしは、ダニエル・ブレイク』、イギリスにフードバンクというものがあることを初めて知った。このフードバンクのシーンはとてもショッキングなんだけど、職員の振る舞いが素晴らしかった。それは決して奇異な出来事ではなく、きちんとケアすべきことだと職員はわかっているのよ。
> なんかいろんなこと考えちゃうな。カート・ヴォネガットのあの有名なセリフ「なんてったって、親切じゃなきゃいけないよ」とか。國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』に出てきたフレーズ、「私たちはパンだけでなく、バラももとめよう。生きることはバラで飾られねばならない」とか。
> ケン・ローチって、「社会派」の監督というイメージがあってなんとなく敬遠してたんだけど、よく考えてみたら「社会派だから敬遠する」ってのもおかしな話だよな。映画として面白いかどうかじゃん。その意味で、『わたしは、ダニエル・ブレイク』は、ワーキングクラスのウディ・アレンのようでもあり。
> そういえば、ダルデンヌ兄弟の『サンドラの週末』ってのもあったな。あれもひたすら歩き回る映画だった。

4/3
> 「おはじき」とマジックで書かれたボール箱を持って歩いているサラリーマンを見た。
> 「おはじき」の中には、「オジキ」も「ハジキ」もある。アウトレイジな匂いがする言葉だ。
> 「低み」のコーナー、大好きなんだけど、俺もイニシャルでいうと「Tくん」だということに気づいた。どおりで、低いわけだ。
> 「籠池泰典氏がしつこいとかうそつきとかいう話は出たし、森友学園の経営や設置認可をめぐる強引さにも批判が集中したが、教育方針を批判した発言は、渦中の政治家からは出なかった」→時代の風:森友問題の本質=中島京子・作家 - 毎日新聞 http://mainichi.jp/articles/20170402/ddm/002/070/056000c
> 「軍人が得々とそういう話をするのを子供の時に聞いていたんです。子供心にもこれは殺人だと思ったが、戦争だからやっていいんだと自分に言い聞かせたんですね」→小澤俊夫氏が警鐘 「共謀罪で言論の息の根が止められる」 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/202513
> 鈴木翁二『かたわれワルツ』を読んだ。収録されている作品のほとんどを他の作品集で読んでるんだけど、鈴木翁二が作品集のたびに何度も加筆修正するように、こちらもくり返し読みたくなる。正直よくわからない部分もあるんだけど、だから何度も読むし、わからないところも含めて強烈に惹かれてしまう。
> 鈴木翁二『かたわれワルツ』。黒々とした影の数々に、なにか普遍的な「さびしさ」を感じる。例えば、子供時代に初めて死を意識したときのようなさびしさ。でもそのさびしさは一方で、宇宙や時間の秘密に触れたような感覚をもたらす。さびしさが俺らを遠くへと連れていってくれる。
> 俺が「ああ、鈴木翁二だなあ」と思うのは、コマの中を斜めに飛ぶ手書き文字。これって、ここじゃないどこかから響いてくる声や音なわけで、この遠くの声や音が鈴木翁二作品の遥けさにつながっている。たとえば、『かたわれワルツ』のこんな大ゴマとか。 https://pic.twitter.com/moSLMpkzwZ
> 山田参助『あれよ星屑』6巻のラストのコマにも、斜めに飛ぶ手書き文字が出てくる。あれも、鈴木翁二っぽいなあと思ったり。
> 鈴木翁二『かたわれワルツ』収録の「転轍機」に登場する女性シンガーって、谷山浩子さんじゃないかなあ。

4/4
> 「教育食後」には「食事のあとにはきちんと歯磨きをする」など良いことも書かれており、教育現場で使用することは問題ないという意見がありますが、だったら歯医者のポスターでいいと思います。
> 今村復興大臣の会見をみると、異論や批判に対するこの政権の耐性のなさが表れている。「無礼」とか「侮辱した」とか、すぐ言うじゃん。それって、自分の自尊心が一番大事ってことでしょ。この手の人は、自分の機嫌で他人をコントロールしようとする。つまり、相手に「忖度」を求めるわけだ。
> 答えにくい質問には「私を貶める印象操作だ」と切れ、こんなことがあったとの証言には「侮辱されたから証人喚問」と切れ、無責任との批判には「無礼だ誹謗だ」と切れる。感情ばかり優先させ、気に入らなければ恫喝し、根拠は示さず、嘘をつき、いつも忖度を求める。さふいふものにはなりたくはない。
> 震えた。和合さんのうねるような朗読に、寄り添っては離れまた近づくあら恋の演奏。爆音のポエジー。→[焦点 feat.和合亮一] あらかじめ決められた恋人たちへ https://youtu.be/9f8VifnvlUc @YouTubeさんから
> これもいいな。♩なのに幸せのイメージで街は一杯→「君といつまでも(together forever mix)feat. ECD×DJ Mitsu The Beats」 ECD×DJ Mitsu... https://youtu.be/oQhNns7hSx4 @YouTubeさんから

4/5
> お、今週末から近場のシネコンで『クーリンチェ』がやるぞ。新宿や有楽町よりは席が取りやすいはず。武蔵野館も、好きなんだけどね。
> 今日は夜でもそこまで寒くないな。春のあたたかさはまやらわ。
> 夏目ちゃんがいた頃の「怒り新党」が懐かしい。

4/6
> 折りトンボ、ってなんかかわいい言葉だな。知らない人にとってはは、まったく関係ない言葉だが。
> 筒井康隆の小説は昔っから好きで読んでるけど、さすがにあの発言はドン引き。タブー破りですらなくて、ネットでよくあるやつじゃん。通常運転というより、迷走じゃなかろうか。
> とはいえ、こーゆーことはあるよね。立川談志の言ってることに反発を覚えても、落語は面白いとか。この間も好きなミュージシャンがネトウヨ的なツイートをしてて、げんなりしたことがあった。もちろん、知人や友人でも同様のことはありうる。その発言を是とせず、その上でどうするか。
> 読み始めたばかりの、佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』がとっても面白いんだけど、作者自身がサウンドトラックを選曲してることを知った。デューク・エリントン、フレッド・アステア、エトセトラ。こーゆーの、他の作家もやればいいのに。https://tamanoir.press/2016/05/15/
> こちらは、佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』のサウンドトラック(コメント付き)。「最初、この小説は「有頂天時代」というタイトルにするつもりでした」とかとか。https://tamanoir.press/2017/02/23/

4/7
> トランプがカードを切る、って笑えないな。
> 今日もあたたかなはまやらわ。
> 地元の川べりで夜桜見ながらぶらぶら。ビールとあら恋で、いい気分。
> 桜と爆音って合うよねー。
> 「僕も友達がしくじりよったら、あいつあほやなあとか言いますよ。でも共感する。不幸に共感する。何かできんやろか、となるね」。ダニエル・ブレイク的な。→特集ワイド:おおらかな大阪どこへ? 編集者、江弘毅さんと考える - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20170405/dde/012/040/055000c
> 不幸に共感する。弱さに共感する。愚かさに共感する。ダメさに共感する。そういう共感を忘れないようにしたいやね。
> 本日のバナナムーンは、ゲストがアンガールズ田中。田中最強説を検証中。どんな番組にも田中が出てると、盛り上がるバナナマン。「紅白に出てるのを見て、俺、ゾッとしたもん」と日村さん。
> こんな時間ですが、私の好きな筒井康隆10冊を選んでみた。『驚愕の曠野』『虚構船団』『残像に口紅を』『メタモルフォセス群島』『宇宙衛生博覧会』『バブリング創世記』『ベティ・ブープ伝』『パプリカ』『乱調文学大辞典』『にぎやかな未来』『美藝公』。あ、11冊か。
> こーゆーのって、いくつのときに読んだかってのも大きいよね。

4/8
> 飛鳥山公園で花見をしてきた。飛鳥山が出てくる落語があった気がするが、愛宕山と混同しているかもしれない。頭山ってのもあるが、あれは別ものなので間違えようがない。
> 他に誰もいないエレベーターの中や温泉の浴場などで、おどけたポーズを取りたくなるという欲求がある。人がいたら決してしないような、変なダンスとか変な顔とか。本日は、「内弁慶」にならってそうした欲求を「内コミカル」と呼ぶことが決まった。ちなみに、人前でばかりおどける人は「外コミカル」。
> 人がいようがいまいがおどけるタイプは、ただの「コミカル」。
> おどけたいけど上手くおどけられない人は「コミ障」。おどけたがる気質は「コミっけ」。
> ただ、家でひとりのときにはコミっけが沸かないんだよね。公共の場だけど人がいない、というのがポイント。
> 職場に自分しかいないときに恐る恐るちんこを出してみた、と語っていた人がいた。これは、性癖なのか内コミなのか微妙なライン。

4/9
> 日曜日の夜に四時間の映画を観ます。
> わかっていたことではあるが、『牯嶺街少年殺人事件』がもお良すぎて良すぎて。しかし、千葉のシネコンでは、観客が俺を含め3人だった。都内の映画館が混んでるとお嘆きの皆様、ぜひ地元の映画館へ! この調子だとすぐに上映が終わっちゃうぞ。
> エドワード・ヤン監督『牯嶺街少年殺人事件』の4Kリマスター版を観てきた。90年代に観た映画の中で忘れ難い1本。4Kのおかげか、夜の深さに引き込まれる。4時間の長尺だけど、みずみずしくて豊穣で、すべてのカットが素晴らしい。ブラスバンドの場面と最後の「今夜はひとりかい?」で涙。
> エドワード・ヤン監督『牯嶺街少年殺人事件』、映画の中で過ぎる時間は1年程度だと思うけど、ローティーンの少年にとっての1年は大人にとっての5年くらいなんじゃなかろうか。映画が終わるときには、始まったときからずいぶんと遠くまで来てしまったような感覚に襲われ、ただただ呆然としてしまう。
> エドワード・ヤン監督『牯嶺街少年殺人事件』、チャン・チェンのひょろ長い手足がいいね。背は伸びたけど青年の体つきになるにはまだまだ時間がかかる、あの年齢のときにしかない輝きが映画に焼き付けられている。大人びた表情とあどけない表情が入り混じるところも。
> エドワード・ヤン監督『牯嶺街少年殺人事件』、光と闇の繊細な描き方にうっとり。懐中電灯はもちろん、ネオンやろうそく、戸の隙間から漏れる光、壁にチラチラ揺れる影、闇の中にぎらっと光る刃物、夕暮れの屋台の灯りなどなど。高い窓からバスケのコートにの射し込む光とかも、たまらないものがある。
> エドワード・ヤン監督『牯嶺街少年殺人事件』、いっとう最初、電球のアップから始まり、序盤で懐中電灯を手にする。終盤で電球が割られ、懐中電灯を手放す。夜間学校から昼間へという望みもかなわず、眼鏡も得られない。すべては光を失う方向へと進んでいく。その胸が締めつけられるような痛ましさ。
> エドワード・ヤン監督『牯嶺街少年殺人事件』、何度も出てくる自転車を押して歩く場面もいいなあ。特に、父親との場面はグッときてしまう。昔観たときはあまり意識していなかったけど、これ、家族の物語でもあるんだな。

4/10
> 観た翌日、三日後、一週間後、その映画のシーンがふと脳裡によみがえり、ふーっとため息をつく。忘れても何かの拍子に思い出す。映画の悦びって、そーゆーもんじゃないかな。『牯嶺街少年殺人事件』は、まさにそんな映画だった。カチッカチッと灯りが点滅するように。
> 忘れてまた思い出すまでが映画です。
> 『牯嶺街少年殺人事件』への加瀬亮のコメントがいいな。「懐中電灯で足元だけを小さな光で頼りなく照らしながらなんとか先の見えない闇の中を歩いていく少年の姿にひどく動揺したものでした」。初めて観たときのあの気持ちは、そうだ「動揺」だ。http://www.bitters.co.jp/abrightersummerday/comment.html

4/11
> タイトルからして、カッコいい! https://t.co/i2WgdCiAth
> ●春の野でサンドウィッチを手に僕らトホホトホホと降る雨に濡れ
> ●猫戻る未明の夢の外側でミルク皿打つ春の雨垂れ
> 端っこにいる 小猫王がかわいい。 https://t.co/JHRPMsMzkC
> エドワード・ヤン『牯嶺街少年殺人事件』、最初の夜の小学校での場面、よかったなあ。光と闇、暴力と愛、というモチーフが盛り込まれているだけじゃなく、画面の構図にいちいちシビレる。階段の撮り方、廊下の撮り方、離れた場所で起こっている複数のアクションを同じ画面に収める見事さ。
> あと、エドワード・ヤン『牯嶺街少年殺人事件』を観返して、俺が気になったのは、開いた戸口越しに手前の部屋から奥の部屋(もしくは屋外)を見るという構図。保健室の場面や押し入れの寝床、撮影所の場面などあちこちに登場する。それがどうしたといわれれば、俺もよくわからないんだけど。
> 『牯嶺街少年殺人事件』の保健室の場面で連想したもの。 https://t.co/ETXFZhrYaG
> ホント、素晴らしい映画でした。もう、すべての場面が印象深くて…。保健室のあとのシーン、小明に先に行っていいよと言われた小四がすたすた歩いていって、クルっと戻ってくるところとか。いや、挙げ出したらキリがないんですが。

4/12
> ↓敵を殺せ、民間人を殺せ、という立場に置かれるのも当然恐ろしいが、俺が怖いのは「仲間を売れ。そうすれば命を助けてやる」ってやつだ。これに抗うことができるだろうか? 抗えなかったとすると、その先の人生はどうなってしまうだろうか? とんでもない虚無を抱え込むことになるんじゃないか?
> 『ムーンライト』『わたしは、ダニエル・ブレイク』『牯嶺街少年殺人事件』…。いずれも、彼ら彼女らと共に過ごしたような気持ちになる映画だと思う。だから、映画が終わってからも、彼らのことを考えちゃうんだよな。
> 介護保険法で強行採決。森友問題で追求されたからかどうかはよくわからないけど、基本「報復」なんだよね、この内閣のスタンスって。言い返さずにいられないし、やり返さずにいられない。しかも、それを隠そうともしない。むしろ、わざと見せるんだよ。
> 以前、強行採決の常態化について、「俺に逆おうってのか、と刃物をチラつかせるチンピラのようだ」と書いたら、「与党に投票した国民をバカにしてる」と言われたんだけど、強行採決でバカにされているのは「国会の議論で物事を決めて欲しいと思ってるすべての国民」だからね。
> しかし、現政権を批判したら投票した国民をバカにすることになる、という理屈は、ホントおかしい。投票した人って政権と一心同体なの? 竹やぶみたいに地下茎かなんかでみんなつながってんの?
> 佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』読了。うおー、べらぼうに面白かった。舞台は第二次世界大戦中のドイツのハンブルグ。当時ナチによって禁止されていたジャズに熱狂した若者たちが、国家を出し抜いてパーティを開いたり海賊盤のレコードを作ったり。その命がけのスウィングにシビレる。
> 佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』、若者たちのある者は戦争に首根っこをつかまれ、ある者はなんとか生き延びる。でも、誰も無傷ではいられない。主人公はドイツを「お馬鹿の帝国」と呼びながらも、服従せずに生き延びるには「金」が必要だというえげつない現実と格闘しなければならない。
> 佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』、「糞格好いい」というセリフが出てきて、お、と思う。舞台は70年前のドイツなのに、主人公たちは今の日本の若者のように喋るんだよね。他にも、どん引き、うぜえ、キモい、誰得などなど。豊崎由美さんがツイートしてたように、この国の話ってことだ。
> 佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』より。ごっきげんな、そしてとても不機嫌な罵倒。「彼らはぼくに多くを求めすぎだ。血統だの純血だの民族の一員としての自覚だのは、やりたい奴が趣味でやればいい。どこかの離れ小島でも買い取って、で、(→つづく)
> (つづき→)ひたすらアーリア人にアーリア人を掛け合わせてジャズとか一切聴かせずに愛国作文でも書かせて朝から晩まで行進させていれば理想のアーリア人が作れる、というのなら、どの程度のものか喜んで見せて貰うけど、ぼくにやれとか言わないでくれよ。もううんざりだ」。ね、今の日本の話でしょ。
> 佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』の魅力のひとつが、イカす言い回しやエピソードの数々。例えば、辛辣なジョークを「パクんなよ」と言われた主人公は、こう語る。「もちろん、ぼくはパクらない。ただそのきつい侮辱のロジックだけをおいしくいただく」。わお、糞格好いい。
> 「例えばルイ・アームストロングの『セントルイス・ブルース』を皆がやたらほしがったことがあり、たぶんそれだけで百枚以上売ったと思う。ただしベーレンス兄弟がステンシルで記したタイトルは『ザンクト・ルートヴィヒ・ゼレナーデ』だ」佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』より。
> ↓『スウィングしなけりゃ意味がない』には、こーゆー皮肉がいたるところにちりばめられていて、中には俺の教養がないせいでよくわからないものもあったりするんだけど、今は検索できるからね。なるほど、「サミュエル・ゴールドバーグ」ってそういう名前なのか、とかとか。
> 出てくる曲のほとんどは、YouTubeで聴けるし、佐藤亜紀さん自ら選曲したサウンドトラックを自身のブログで公開している。

4/13
> 「夜の巷を徘徊する」、夜桜見物の前におぐぎんざで買い出し。商店街の人たちが、みんな人なつっこくていいなあ。餃子屋のおばあさんが、「お父さん(夫)の50回忌で」と口にして、詳しく聞いたら夫が刺されて亡くなったんだとか。マツコって、そーゆー話を聞いてくれそうな気がするんだろうな。
> この間の飛鳥山の花見は、王子駅近くのおでん屋で、おでんを買っていったのだ。そして、余ったおでんの汁を日本酒で割って飲むっていう、「ドキュメント72時間」で覚えたやつをやった。当然、酔っぱらった。
> 本日の東京新聞「こちら特報部」は、なんと全編、共謀罪について山本直樹に取材した記事。有害図書指定の話から『レッド』の浅間山荘まで、がっつり語っている。連合赤軍の総括について、「右とか左とか関係なく、普通の善良な人でも状況と材料がそろえば、どんな時代でもおかしなことになる」とか。
> 東京新聞「こちら特報部」、山本直樹の語ることがいちいち面白い。「漫画家はもっとふざけないといけない。僕は今『レッド』に出向中だけど、連載が終了したらまたエロに戻る。自由にエロが描けない世の中なんて、まったく面白くない。国民の不断の努力がエロを面白くするんです」。おお、不断の努力!
> 山本直樹って、エロでもそれ以外の作品でも、ずーっと「日本人」を描いてきたんだなあと、改めて思う。

4/14
> 勇ましいことを言う奴に踊らされてはいけない。→元ちとせ 『腰まで泥まみれ』MUSIC VIDEO+「平和元年」SPOT https://youtu.be/BNC_znB7HuI @YouTubeさんから
> 最後のほうで清志郎が「リンダリンダ」って言ってるのは、確かこの日ゲストでヒロトとマーシーが来てたからだと思う。→RC SUCCESSION - 明日なき世界 https://youtu.be/YTQhBLDZ24g @YouTubeさんから
> ピーズの武道館が楽しみだ。→O.P.KING ミサイル畑で雇われて https://youtu.be/Hf6bIH3SCtw @YouTubeさんから
> 今日の「タモリ倶楽部」、面白かったー。野糞一筋43年の達人が、ラブレターズと森山直太朗に葉っぱで尻を拭く方法をレクチャー。うれしそうな語り口に、ニッチな専門家の魅力が爆発。
> 「スウィングしなけりゃ意味がない」佐藤亜紀氏 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/203372 #日刊ゲンダイDIGITAL
> 佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』の、ファシズムの下ジャズに熱狂したドイツの若者たち。エドワード・ヤン『牯嶺街少年殺人事件』の、戒厳令下でプレスリーに憧れた台湾の若者たち。音楽を思いっきり楽しむことが、彼らにとって抑圧を振りほどき自由へ手を伸ばす方法なんだよね。

4/15
> これ、昨日の「タモリ倶楽部」の人だ。話も最高だし、最後には「ウンコに生える美しいキノコたち」の写真まで!→野糞を続けて43年 「奥さんよりもウンコを選んだ」伊沢正名の信念 - withnews(ウィズニュース) http://withne.ws/2nKkQZ6 #withnews
> ↓「タモリ倶楽部」でも思ったけど、伊沢正名さん、朗らかなのがいいな。「もし逮捕されたら、ウンコ闘争・ウンコ裁判を貫きますよ。トイレは使わず、留置場にどんどんウンコをためていく。いけるところまでいくつもりです」とか、名言連発。
> ↓伊沢正名さんが葉っぱでお尻を拭くのは、紙が地中で分解されないから。そのことに気づいたきっかけが可笑しい。「自宅の裏山で野糞をした時に、掘り返した地面から紙が出てきたこと。何だろうと思ったら、自分が半年以上も前に野糞をした跡だった」。まるで落語みたいな話だ。
> 誰もやらないことを一人で追求している人って、自分で論理や体系を組み立てなきゃいけないわけじゃん。その人なりの理屈があるというところに、俺は魅力を感じる。あと、その人だけの悦びがあるところ。だから朗らかだし、ある種の天使性を帯びる。
> これから湯浅政明の最新作。歩けよ。
> 『夜は短し歩けよ乙女』、楽しかったー。今日は飲んで帰ろう。
> 湯浅政明監督『夜は短し歩けよ乙女』、面白かったなあ。森見登美彦の原作のセリフ回しを活かし、中村佑介のイラストの雰囲気を活かした上で、アニメーションならではの動きや構図やメタモルフォーゼを存分に盛り込んでいる。ぐにゃぐにゃと歪んで伸び縮みする線の快楽。祭りのような熱量に酔っ払った。
> 湯浅政明監督『夜は短し歩けよ乙女』、アニメーション表現のバリエーションの豊かさが、妄想力に結びついているのが素晴らしい。ひと晩で春夏秋冬をひと巡りする妄想の一夜。ひと晩であちこち巡り歩く妄想の京都。りんごとだるまと鯉が降り注ぐ京都の一夜は、因果の糸が張り巡らされた結界のようだ。
> 湯浅政明監督『夜は短し歩けよ乙女』、原作で俺が大好きな「本っていうのはすべてつながってるんだ」というくだりも、ちゃんと映像化されていた。すべてがつながっている、というのはこの原作のテーマであり、アニメーションにも引き継がれている。これは、かなり理想的な原作の映像化じゃないかな。
> 湯浅政明監督は、『四畳半神話体系』のテレビアニメーションも手掛けてるんだね。知らんかった。こちらも観てみたい。あと、来月公開の『夜明け告げるルーのうた』も楽しみ。
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サンフランシスコ人

『夜は短し歩けよ乙女』....2018年8月24日....サンフランシスコの映画館で公開....

http://www.roxie.com/ai1ec_event/night-is-short-walk-on-girl/?instance_id=28601
by サンフランシスコ人 (2018-08-14 07:45) 

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