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5月のつぶやき(その1) [ツイート]

5月のツイートまとめ前半分。抜粋編集バージョン。ゴールデンウィークか。こうやって間を空けて読み返すと、まるで他人のツイートを読んでるみたいだ。まあ、楳図かずおと清志郎の話題から始まってるのは、いかにも俺がしそうな話だが。

5/1
> このシリーズにしてはレイアウトがえらく凝ってて、奥付を見たら、ああやっぱり祖父江慎の仕事だった。→楳図かずお「漂流教室」を大解剖するムック本、川島小鳥による写真ルポも - コミックナタリー https://t.co/PRJ9TgvOrt
> 『楳図かずお『漂流教室』異次元への旅』、人物相関図や連載当時の世相を伝える「漂流新聞」などを掲載。大和小学校の間取り図とか、心躍るよね。 https://t.co/JrQiOcqY7F
> 『楳図かずお『漂流教室』異次元への旅』、登場人物図鑑。「すぐに倒れて死んでしまう」「持ち帰ったところで死亡」「轢き殺される」「食われて死亡」と、臨終図鑑の趣き。 https://t.co/cNhksJBBbz
> 『楳図かずお『漂流教室』異次元への旅』、広域図の地図より、吉祥寺の解説「女番長がいつも遊んでた街」。 https://t.co/DKeMebKTHN
> すっごくいいです! カーテンの後ろに子供の影が見える写真が特に好きです。楳図先生が、ずっと教室にいるうちに年をとってしまった少年のように思えてきます。
> 踊り場の鏡の写真もいいですね。あと、ピアノの上の手のアップとか、子供と大人(老人)が二重写しになるような感覚があります。写真展、やってほしい!

5/2
> iPodのなかで、清志郎がぴょんぴょん飛び跳ねている。忌野忌。
> ♩内ポケットにいつも(今も)~トランジスタ・ラジオ~。清志郎はライブで、()内のフレーズを挟んで歌ってた。この(今も)の部分は、俺にとってすごく大事。今も、今でも。
> 即興俳句。 ●窓際の席のともだち忌野忌
> RCサクセション「トランジスタ・ラジオ」の、♩君の知らないメロディー~聞いたことのないヒット曲~ というフレーズの解放感ね。未知なる世界が、遥か彼方の空の下に広がっているということ。それは、なんだかとってもドキドキするし、なにより自由を感じる。
> 特にライブで聴くとグッとくるんだよなあ。ブレイクを挟んで、ダダダタダダダダっとドラムが鳴って、フーフフフーフとコーラスが入ってきて、アァウきみのしらないメロディー、と清志郎が歌い出すところで、うわーっとなる。
> うまく言えたことがない気持ちが大切なんだぜ、と清志郎が言っている。君の知らない世界があるんだぜ、と清志郎が言っている。学校とか日本とかそーゆーものを超えて、君は何かを感じることができるんだぜと。
> つうことで、明日から連休だぜベイベ。
> 平凡社の太陽の地図帖シリーズ『楳図かずお『漂流教室』異次元への旅』読了。楳図先生のロングインタビューはもちろんだけど、川島小鳥によるグラビアページ、祖父江慎のアートディレクション、半魚文庫の高橋明彦さんによる全作品データ、「地図帖」的な図解などなど、美味しいところだらけの1冊。
> 『楳図かずお『漂流教室』異次元への旅』、川島小鳥の写真を見てると、学校から出られないまま大人になった並行世界の楳図かずおが、現実世界の少年と出会ったかのように見える。いや、どっちが現実世界かわからないし、どっちが大人なのかもわからないな。それどころか、互いの分身かもしれない。
> 『楳図かずお『漂流教室』異次元への旅』、冒頭には「少年サンデー」連載時の扉がいくつか配され、最終ページには1972年の連載開始時の「編集室だより」が掲載されている。これがいいのよ。1972年から45年後へ、そして2017年から45年前へ、時空を行き来、つまり漂流するような感覚。
> 『楳図かずお『漂流教室』異次元への旅』、メインディッシュは楳図先生のロングインタビュー。ホント、冷静で聡明な方だなあと思う。『漂流教室』のキャラクターの中でも特に印象深い関谷について「あれはエンターテインメント」「話を盛り上げるための一人」と、サクッと言っちゃうところとか。
> 『楳図かずお『漂流教室』異次元への旅』、他人を踏み潰さなきゃ生き残れない社会を乗り越えられないか、という主旨のことを楳図先生が言っている箇所にグッときてしまった。「未来社会において、翔たちが少しでもそういう世界に近づくことができたらいいのになと考えながら描いていました」。
> 『楳図かずお『漂流教室』異次元への旅』、穂村弘のエッセイが例によって冴えている。「作者は人間がどうやって増えるのか実は知らないのではないか」。それって、俺らが楳図作品について心のどこかでずーっと思ってたことだよね。だってさ、少年少女が子供を作るために東京タワーに上るんだよ!
> 穂村弘は、楳図かずおのことを「天使」と呼んでいたけど、俺も楳図先生には天使性を感じる。つうか、秘かに吉祥天と名付けてたりする。「吉祥寺の天使」の略ね。

5/3
> 14時に起きるというだらけきった連休。
> しかし、連休ってヒマだな。本を買うか映画を観るかしか、することがない。つか、買うだけじゃなくて読めよ!
> まあ、やってることはいつもの週末と変わらないってことです。
> 白水Uブックスから復刊された、マイケル・オンダーチェ『ビリー・ザ・キッド全仕事』を読んだ。ビリー・ザ・キッドの短い生涯を、詩や散文、写真、インタビューなどで構成した小説。もちろんビリーが書いたんじゃなくオンダーチェの創作。それに「全仕事」ってタイトルをつけるところが、イカしてる。
> マイケル・オンダーチェ『ビリー・ザ・キッド全仕事』、とにかくカッコいいのよ。西部のガンマンに様々な「言葉」を与えることで、不良少年の繊細さみたいなものが立ち上がってくる。こんな詩とか。「そしてパット・ギャレットが/おれの首を切りとった/血はおれに死ぬまでついてまわった首飾りだ」。
> マイケル・オンダーチェ『ビリー・ザ・キッド全仕事』には、ビリーが書いた体の詩がいくつも出てくるんだけど、ジム・ジャームッシュの西部劇『デッドマン』をちょっと連想した。ウィリアム・ブレイクという詩人と同名の青年が「これが俺の詩だ」と銃を撃つ。
> 「おれたちのまわりは完全な闇であり、七十マイルかそこらは砂漠のほかには何もない。左手の数ヤード先に黄色い湿った光のつまった家があり、その窓枠の中におれたちは、漏斗型のガラスの容器に入れた火を窓辺へ、おれたちの立つ闇のふちの方へと運んでいるひとりの女を見た」
> マイケル・オンダーチェ『ビリー・ザ・キッド全仕事』より。「黄色い湿った光のつまった家」って表現にシビレる。オンダーチェの光の描写はいいなあ。
> 『ビリー・ザ・キッド全仕事』に、ビリーが写真を撮ってもらう場面が出てくる。西部劇なんかでも、写真機と三脚を持った流しのカメラマンっぽい人物が出てきたりするけど、あれってどういう感じなんだろうか。誰もがスマホで写真を撮る今とは、明らかに違う写真の持つ意味が違うはずで、ちと気になる。
> 小津夜景の句集『フラワーズ・カンフー』を読んだ。詩や散文と組わせた句も収録されてたりして、言葉だけで組み立てられた世界の遊戯性と清潔さを感じる。 ●大伽藍くぐらんごとく読みはじむ
> 小津夜景『フラワーズ・カンフー』、言葉が次の言葉を連れてくるような感覚がある。例えば、この句のバ行音+ラ行音のくり返しとか。バ行音を発するときの唇の震えがエロティックなものに思えてくる。 ●とびらからくちびるまでの朧かな
> 小津夜景『フラワーズ・カンフー』、現実は現実の言葉には言葉の世界がある。言葉だけで組み立てられた世界は、影だけの世界かもしれない。 ●影ばかり地をゆく夏のフラスコは
> 小津夜景『フラワーズ・カンフー』、もしくは、言葉だけの世界は写真に対する青写真の世界かも。 ●青写真なみだのうみにうみなりが
> 小津夜景『フラワーズ・カンフー』、遊戯性ということでいえばこんな句もあった。 ●戯れを盛るによろしき氷の器

5/4
> 特集は穂村弘。それはそれとして、ジャニーズが表紙を飾ると、「ルビンの壺」のようになることを発見。 https://pic.twitter.com/PgQ8fplmOq
> 新宿まで映画を観にきたが満席。これじゃ歩き回るだけの休日だ。
> 「おげんさん」を見ている。藤井隆のパフォーマンス力。
> ハンドマイクで歌う細野さん、レアだなあ。
> 「恋」の♩みにくいと秘めた想いは色づき~白鳥は運ぶわ当たり前を変えながら~ って歌詞もいいよね。さらっとすごいことを歌ってる。
> 木村拓哉だって、ちょっと老眼がきてるっていうんだから、俺が細かい字が読めなくなってきてもおかしくないよな。俺が最初に「あれ?」っと思ったのは、DVDパッケージの裏の分数が読めなかったとき。
> 録りためていた「ドキュメント72時間」を、連休中に全部見るという目標を立ててみる。

5/5
> 自由が丘にでも行くか。
> 自由が丘のエレクションに来てみたけど、混んでるなあ。若者だらけ。
> 田我流とすれ違う。
> やけのはらのすれ違う。
> 駐車場のパーティスペースを離れ、トイレを探して彷徨。自由が丘駅前では、声楽っぽい歌い方でマイラバを歌ってる人のステージ。なんかカオスだ。
> トイレから戻ったらやべー勢いですげー盛り上がってる。
> ピュリツアー。。 https://pic.twitter.com/3njOvQRfnM
> これがゆるふわギャングかー。すげーよかった。
> ハーモニー・コリンだな。
> やけくんのDJ気持ちいいなあ。
> VIEEOTAPEMUSICとすれ違う。
> 明かりのついたピュリツアー。 https://pic.twitter.com/yfQnHh7pUE
> そろそろ離脱。
> ビールのせいで眠い。

5/6
> 今日は休日出勤。結局、連休は映画に行けないまま終わりそう。

5/7
> ああ、もう連休も終りか。GWらしいことといえば、おととい自由が丘で遊んだことくらい。まあ、それで十分っちゃあ十分なんだけど。今日はどうすっかなあ。
> 5日、自由が丘にある海外アニメーション専門ショップで、チェコアニメーションのDVDを購入し、そのままフリーイベントの「Erection」へという流れ。ブロックパーティっつうの? 駐車場のスペースで行なわれるイベント。屋外、アルコール、音楽、ってのは最高の取り合わせだな。
> で、このエレクションで噂のゆるふわギャングを観たわけですよ。ヒップホップのことはよくわからないので上手く言えないんだけど、ハーモニー・コリンの映画のような白昼夢感があってすごくよかった。あと、『BEAT POPS』あたりのRCサクセションのドラッグソングを連想したり。
> 即興短歌。 ●この夢はすぐに壊れてしまうからネオンカラーのTATTOOを刻む
> 下北沢で、これからカーネーション。久々に観る。
> カーネーション、物販で短冊タイプのシングルが売ってる!
> 意外に夜風がひんやりしてる。熱いライブを観たあとならなおさら。
> 下北沢GARDENにてカーネーションのワンマンライブ「METEO PARKWAY」を観てきた。直枝さんと太田さんに加え、矢部さんがドラムで復活。そんなことになっていたとはつゆ知らず、スペシャルな気分。サポートは他に、松江潤と佐藤優介。ゴリゴリしてるのにメロウで、もうたまらん。
> カーネーションライブ、3人編成時代にライブを観ていた俺としては、オリジナルメンバーの3人で演奏した「ANGEL」「Black Coffee Crazy」がもうよくってよくって、まさに花火が上がるような多幸感。
> カーネーションライブ、「恋するためにぼくは生まれてきたんだ」もやってたな。この曲は、下北沢をぶらぶらしてた頃によく聴いてた曲で、そんなあれこれを思い出したり。新しいアルバムの「いつかここで会いましょう」もよかったなあ。ロマンチックなカーネーションが好きなんだよ、俺は。
> カーネーションの歌に頻出する単語って、「悲しい」じゃないかな。歌に悲しさや切なさや虚しさややるせなさが、染み込んでいる。♩おれの基準は切なさ~だもんな。何がってわけでもなく、ふいに悲しくなることってあるじゃん。あの感じ。
> これね。→カーネーション「いつかここで会いましょう」MUSIC VIDEO https://youtu.be/mX1tcHNq8t0 @YouTubeさんから
> しかし、カーネーションで検索すると、「母の日に贈ろう」ってなツイートが山ほど引っかかってくる。まあ、そりゃそうか。つか、ガーデンでカーネーションって、知らない人は花の話だと思うよね。

5/8
> 安倍晋三は、ホントにホントに国会であれこれ訊かれるのがイヤなんだな。「私の考えが知りたければ読売新聞を読んでください」って、国会では議論したくないってことでしょ。で、言いたいことはミヤネ屋や日本会議系の集会など、国会の外で発表。首相夫人はFacebookで発表。
> なんかね、それが通れば国会なんか要らないじゃん、ってなことだらけの国会運営が続いてる。つまり「国会の形骸化」って方向へ進んでるってことだ。そしてそれはもちろん、現政権にとって非常に都合がいい。
> 「「これは、テロ対策なんだ」と聞かされているけれども、金田法務大臣が言い切っているのは、「幅広にやりますよ」ということ。テロ等準備罪の「等」の部分です」→矛盾だらけの「共謀罪答弁」と「テロ等準備罪」という印象操作(対談・動画) http://www.huffingtonpost.jp/nobuto-hosaka/diet_b_16368864.html
> 「「目立ったことをすれば監視される」と考えさせるだけで、萎縮効果は抜群。権力に異議を唱える声は少なくなるでしょうね」→「恣意的な運用は日常茶飯事」 亀石弁護士が語る共謀罪:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASK523T7MK52UUPI001.html

5/9
> 「湯浅監督の精神世界は世界を壊すためではなく、繋がるために内々に向かいます。そして描き方が陽気なんです」→松江哲明の『夜は短し歩けよ乙女』評:精神世界をポップに描く、湯浅監督の手腕 http://realsound.jp/movie/2017/04/post-4918.html @realsound_mさんから
> このサイトすごいな。ざっと見ただけでも、えらい情報量。→http://database.jsas.net/mapping/
> 連休中は、録画しっぱなしだった「ドキュメント72時間」をまとめて見てた。よかったのは、別府の温泉、横須賀の軍港、大田区の七差路、そして都会の小さいお葬式。この番組の魅力のひとつが、普段テレビではクローズアップされることの少ない「おじさん」の多様性が見られるところだと思う。
> 俺も若い頃は「おっさんうぜー」とか思ってたけど、すっかりおっさんと呼ばれる年齢になってみると、おっさんもいろいろなのよ。
> 「ドキュメント72時間」別府の温泉、カメラが入るのは男湯だけなので、だらしない体のおじさんたちが、裸でとつとつと語るわけだ。CO2の排出権取引をビジネスにしようという不動産業のおじさん、モデルをやっていた娘を亡くしたという料理店のおじさん、ふと出てくる話がどれもすごくて。
> 「ドキュメント72時間」別府の温泉、毎日通っているという60代のおじさん。奥さんに逃げられてこの町にやってきたとか。家庭を顧みなかったことを「大いに後悔」と語る。「けどそういうことがあって変わったみたい。自分自身。もっと人にやさしくなった気がする」と言うときのはにかむような顔!
> 「ドキュメント72時間」軍艦が見える横須賀の公園、これ、今のところ俺の今年のベスト。いきなり、25歳年下の奥さんと未だにセックスしてると語る90歳のおじいさんが登場。「夕べだって30分から40分くらいセックスしてるんだよ」と、訊いてもいないのにやけに具体的。
> 「ドキュメント72時間」横須賀の公園、軍港なので、海軍で働くアメリカ人や防衛大学に通う女子、息子が自衛隊のお母さんなどの話も。軍艦を見ながら「ああいう軍艦の中で働いている人のこともいろいろ想像して、停まってるだけにしてね」って声かけてるという女性。「働いている人」というのがいい。
> 「ドキュメント72時間」横須賀の公園、娘が中学生のときピアスを開けたのに合わせて自分もピアスを開けたという60代のおじさん、小学生の子供を叱っちゃったことが悲しくなっちゃって仲間と飲んで愚痴ってたというお父さんもよかった。そうかー、叱ったほうも悲しくなるのかー。
> 「ドキュメント72時間」大田区の七差路、ここって「タモリ倶楽部」でも特集してなかったっけ? 地元の人が七差路を順に指さして、こっちは小学校、こっちは銀行、こっちはスーパーと、行く先で道を認識しているのが面白い。18代もこの地で暮らしてる人もいれば、中国出身者もいる下町感。
> 「ドキュメント72時間」大田区の七差路、様々な取材から「地元」が浮かび上がってくるのが面白い。夜更けに先輩と待ち合わせてるバイクの兄ちゃん。現れた先輩が予想以上に年上で、その先輩に貸していた1万円を返してもらう。で、後部座席に友人(後輩?)を乗せて帰っていく。ザ・地元だなあ。
> 「ドキュメント72時間」都会の小さいお葬式、家族だけで行なう密葬の取材。この番組は「何でもない場所」のほうが面白いことが多いんだけど、これは予想外にグッときた。ご遺体の髪を梳かすという具体性は、テレビじゃなかなか見られないでしょ。死って何だろ、家族って何だろ、と考えてしまう。
> 「ドキュメント72時間」都会の小さいお葬式。亡くなった奥さんの遺体を見るために、息子に連れられて日に何度も安置所を訪れるおじいさん。認知症で来たことを忘れちゃうんだそうだ。そしてその都度、遺体に寂しそうに語りかける。これが切なくって。そして、黙って付き添う息子の姿にも打たれた。

5/10
> 「構図が完璧」→大ヒット『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』塚本晋也監督がトークイベントに登壇!「奇跡のようにすごい塊ができたような映画」と絶賛! - シネフィル - 映画好きによる映画好きのためのWebマガジン
http://cinefil.tokyo/_ct/17074237
> 谷川電話の歌集『恋人不死身説』読了。大半を占めるのが恋人の歌。幸せな日々を詠み、不安な日々を詠み、別れたあとも未練たっぷりに詠む。そのちょっとストーカーめいた執拗さが、歌に妙な屈折を与える。帯にも引かれてるこの歌とか。 ●二種類の唾液が溶けたエビアンのペットボトルが朝日を通す
> 谷川電話『恋人不死身説』、一瞬ギョッとするような、とてもプライベートな欲望が詠まれているところが面白い。 ●恋人が(ああ「元」だった)使ってた香水の味を思い出せない
> 谷川電話『恋人不死身説』、他の人にはどうでもいいようなプライベートすぎる思い出が詠まれている歌がある。でも、どうでもいいことなのに覚えているから特別なんだよな。そんな恋の不思議さ。 ●トイレだけ借りた施設だ ぼくよりも後にあなたが確か出てきた

5/11
> 『「ゴッドタン」完全読本』を読んだ。人気コーナーや面白かった回をほぼ網羅していて、ほとんど思い出のアルバム気分で楽しめる。あったなあ、「ヤマバー」。あと、完全放送リストもうれしい。こーゆー資料があるのとないのでは、全然違うからね。
> 「ゴッドタン」で俺を爆笑させた3大フレーズ。お会計~、ジェッタシー、トテーイ!
> トテーイ革命は衝撃だったな。つか、何だよ、革命って。

5/12
> やべー勢いですげー眠い。
> ねむジン河。
> 珍しく仕事を早く上がれたので、国会前に行ってきた。俺が気に入ったコールは「答弁中にへらへらするな」。
> だってさあ、こんなのどう考えてもイカれてるでしょ。→安倍首相:「そもそも」用法、政府が答弁書で正当化 - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20170512/k00/00e/040/296000c
> 間違いを絶対に認めない人間がトップにいるってのは恐ろしいことだよ。ノーリターンで突き進むってことだからね。
> 自分の過ちを無理矢理正しいものにするために、言葉の意味の方を書き換える。戯画化された独裁者の寓話みたいだけど、現実に行なわれてることなわけで。
> 毎年恒例、星野源による日村さんのバースデーソング。今回はラップ! めちゃいい曲じゃん!
> 「フルでラップは初めてやりました」星野源
> これ、またシングルになるんじゃない?
> 「『恋』の次(に発表される曲)、これじゃない?」設楽統

5/13
> しかし、気の滅入る天気だな。
> これからウディ・アレンのおしゃべりカフェ。いや、おしゃべりかどうかはわからんが。
> ウディ・アレン監督『カフェ・ソサエティ』を観てきた。恋愛が思う通りに成就しないことの方が普通で、だからラブソングが流行るし、ウディ・アレンは恋愛映画を撮りつづけるんだな。それにしても、アレン作品の女優はいっつもチャーミング。今回のクリステン・スチュワートも、いいなあ。
> ウディ・アレン監督『カフェ・ソサエティ』、撮影がヴィットリオ・ストラーロと聞いて期待していたんだけど、素晴らしかった。キャンドルのシーンとかよかったなあ。あと、夜明けニューヨークの空気感。映像だけで、二人が夜を明かしたことがわかる。
> ウディ・アレン監督『カフェ・ソサエティ』、ギャングの描き方も可笑しかった。さくさく殺す。そこで命乞いやら逡巡をもたもたと描かない。場面変わって、殺して、はいまた次の場面、というテンポは、ウディ・アレン作品らしいなあと。
> 俺、ウディ・アレンの、何かことが起こったり切れ味のいいセリフがあったあと場面がパッと変わってジャズが流れる、っていう呼吸が好きなんだよね。スケッチをパラパラとめくっていくような感覚。人生いろいろあるよ、楽しい音楽もあれば悲しい音楽もあるように、とでも言うように。
> そうそう、そうなんです。歩いてるんです! ホント、どの映画で観たか思い出せないくらい、いつも歩いてます。で、いつもジャズです。あれを見ると、ページがめくられたとか、プレイボタンを押されたという気分になります。まさに、人生が動く、物語は進む、という感じで。
> 生きてりゃあいろいろやっかいなこともあるわけで、そうしたときにウディ・アレンの映画のように、脳内でジャズを流すといいかもしれない。ランチに出るとき「A列車で行こう」とかを再生すると、まあ人生こんなもんか、という気分になれるんじゃないかと。
> 「人生は恐ろしいこととみじめなことの二つから成っている」ウディ・アレン

5/14
> 俺はわりと頻繁にユーロスペースとイメージフォーラムを間違える。近けりゃいいんだけど、方角的に真逆。今日もそのせいで、渋谷をがっつり横断した。
> 昔、クアトロとオンエアを間違えたこともあった。なぜか会場に入るときには気づかれず、フロアでビール飲みながら待ってるときに、なんかおかしいと気づいた。クアトロのスタッフが、半券を切られたチケットにサインペンで「間違えて入場されたお客様です」ってなことを書いてくれた。
> あれは何のライブだったか?
> エドワード・ヤン監督『台北ストーリー』を観てきた。80年代に撮られた、エドワード・ヤン長編第二作。主演はなんとホウ・シャオシェン。あと、もう一つの主役が台北。急速な経済成長を遂げた街の風景に、アメリカや日本の影がチラつく。そして『フェリーニのローマ』のように、台北をバイクが疾走。
> エドワード・ヤン監督『台北ストーリー』、エドワード・ヤンって風景の切り取り方や人物の配置なんかの構図にすごく意識的な監督で、画面の強度がすごいのよ。ちょっとした場面もそうだし、キャッチボールしながらの会話やFUJI FILMのネオンに浮かぶシルエットなんかは、特にゾクゾクする。
> エドワード・ヤン監督『台北ストーリー』、冒頭の場面は大きな窓からの柔らかい光で満たされた室内。窓って、エドワード・ヤン作品のキーイメージかもしれない。窓を正面から捉えたショットって、ほとんどの映画に出てきている気がする。この映画の終盤、暗い夜更けの部屋の場面でも背景に窓がある。
> 『台北ストーリー』のパンフに、ホウ・シャオシェンのインタビューが掲載されている。当時はいつも一緒にいて映画の夢を語り合い、エドワード・ヤンの家で多くの外国映画を観たとか。「彼はアメリカ帰りで映画(ビデオ)をたくさん持っていた」。この「ビデオ」ってところに、グッとくる。

5/15
> 久しぶりにチンドン屋を見た。子供が目をまん丸にして凝視してる。
> ベン・ラーナー『10:04』読了。身辺エッセイのようなスタイルで書かれた小説。脳内でものごとをこねくり回すうちに、様々な出来事の断片が符丁のようにつながったり、あるジョークがまったく別の文脈でふいに浮上したり、ちょっとした思いつきが思わぬ形に展開したり、という感覚が描かれている。
> ベン・ラーナー『10:04』、主人公は、過去の様々な可能性の中から選ばれた現在や、現在の様々な選択から組み替えられる未来について何度も言及する。これって脳内でするタイムトラベルであり並行世界だよね。ちなみに、タイトルの10時4分は… https://t.co/oDGnWWp5G4
> ベン・ラーナー『10:04』、主人公が「僕には年端も行かない子供を校外学習に連れていく能力がない」と気づいてパニックになる場面が可笑しい。「世界中の人が、どんな苦境に置かれようと、巧みに子供の世話をしている」のに、という独身男性のショック。いや、俺も他人事じゃないわけで。
> ベン・ラーナー『10:04』、ハリケーンがニューヨークに接近する場面も好き。主人公は停電した街を歩きながら、こんな風に考えたりする。「もしも急に電力が回復したら、ツインタワーが少し左右に揺れながらそこに現れるのではないか、という感覚を僕は覚えた」。すぐそばにある並行世界。
> ベン・ラーナー『10:04』の訳者あとがきで、木原善彦さんが「遊歩(フラヌール)小説」というジャンルを紹介していて、この作品やW・G・ゼーバルトを挙げている。俺は、同じ白水社エクス・リブリスシリーズの『そんな日の雨傘に』を連想した。これも、主人公がぶつぶつ言いながら歩き回る小説。
> ベン・ラーナー『10:04』に出てくる『時計(ザ・クロック)』という映画。気になったので検索してみた。様々な映画の時計シーン総ざらい。→STRAY MOMENTS: Christian Marclay's "The Clock" https://t.co/LSZMfxL1kJ
> 『時計(ザ・クロック)』は、いろんな映画から時計のシーンばかり集めている。なんと24時間の作品で、深夜2時には深夜2時の時計の場面が映し出される、という具合に上映されたんだとか。
> そうなんですか! まったく知らなかったので、検索するまでは作者の創作かもと思ってました。上映形態がキモですよね。24時間、いつ見始めても見終えてもいい、みたいな。終電後も夜遊びしてて、だるくなったらふらっと見に行くとか、理想的かも。
> 確かに何の映画か当てたくなるかも。しかもそれが24時間あるかと思うと…。僕が読んだ小説の中では、主人公が映画の最中に自分の時計をチラッと見る、という場面が出てきます。スクリーンにさんざん時計が映ってるのに。
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