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3月のつぶやき(その1) [ツイート]

つうことで、3月のツイートまとめです。抜粋編集バージョン。つか、3月! もう夏だってのに3月! こうやって読み返すと、ほんの数カ月のタイムトラベルのような気持ち。森友のあとに加計が出てくるとは、この頃はまだ思ってなかったわけで。

3/1
> それにしても、森友学園は次から次へと新たな事実が出てくるな。関わったと思しき人物から異様な教育方針まで、日本会議的なるものの凝縮という感じがする。ホント、埋設物多過ぎ。
> 「安倍晋三首相が「テロ等準備罪で、共謀罪と呼ぶのは間違いです」と何度繰り返しても、上記の内容はかつての「共謀罪」そのものです」→「共謀罪」ついに姿を現すが、 「3回廃案の焼き直し」そのもの https://t.co/bPE2ySXlYR @HuffPostJapanさんから
> 月曜日の「Session-22」の共謀罪の議論は、非常にためになった。計画したことが罪になるということは、実行を取り止めたとしても罪が消えないということ、という保坂展人さんの指摘も、重要な論点。これが、277の犯罪に適応される恐ろしさを、ちょっと想像してみてほしい。
> あと、何度でも言っておきたいのは、共謀罪は広範な監視や密告がないと立証できないということ。すでに去年の法改正で警察による盗聴や司法取引は可能になっちゃってるわけで、それとセットで考えなきゃいけない。つまり、下手なことが言えない社会になるということだ。
> 森友はいかにもダークだしグロテスクだから目を引くし、当然追求すべきだと思うけど、共謀罪のほうが俺らの生活に関わってくる問題だと思う。ちゃんと見とかないと、また強行採決くるよ。

3/2
> 以前、駅で「もしもし、ムッシュ?」とケータイに話しかけてたおじさんを見たことがある。電話の向こうにいるのはあの人かも、と何だかほんわかした気持ちになった。
> 倉阪鬼一郎の歌集『世界の終わり/始まり』読了。ここに出てくる終末の風景は、カタストロフというよりは、いつの間にか進行していて気づけば取り返しがつかなくなってしまったような終末に思える。 ●コミックソング響きつづけるこの青い廃墟にはだれもいない
> 倉阪鬼一郎『世界の終わり/始まり』、定型に収まらない歌が多いんだけど、そこに歪さへの志向のようなものを感じる。57577なんかおかまいなしに、ミミズ、ナメクジ、ムカデが蠢いているこんな歌とか。 ●蚯蚓蛞蝓蜈蚣たち「おかあさんといっしょ」がはじまるよ
> 倉阪鬼一郎『世界の終わり/始まり』よりもう一首。この、終りのときの甘美なこと。 ●別れのワルツを歌ってあげた 靴になってしまったあなたのために
> 『キングコング 髑髏島の巨神』の最新トレーラーを見た。うわー、すげえ面白そう。コング、怪獣たち、触手、墜落するヘリ、サミュエル・L・ジャクソン。この特盛り感。

3/3
> 水木先生なら『ゲ・ゲ・ゲ・ランド』ですね。エマ・ストーンが猫娘かと思いきや、まさかの目玉オヤジだったりして。
> 「山田孝之のカンヌ映画祭」、もうどんどんカオスに。ちゃぶ台を次々ひっくり返す山田。前回あんだけ村上淳にスタントなしの首吊りを迫ったのに、「首はもうやめましょうよ。責任とれないスよ、マジで」と当たり前のように言うジャイアンっぷり。あとは、ムラジュンの「プロットあるんだ?」がツボ。
> 「山田孝之のカンヌ映画祭」、芦田愛菜のことがどんどん好きになる。男たちがイラついたり、おろおろしたり、突然泣いたり、ちょけてたりする中、彼女が一番大人に見える。
> 山田孝之に巻き込まれた人たちが、どんどんおかしくなっていく。ペナルティの♩お化けの救急車~のようだ。果たしてこの先、長澤まさみはおっぱいを出すことになるのか?

3/4
> 家まわりの事案でずーっとほったらかしにしていることがいくつかあって、早く何とかしなよといろんな人に言われてたりするんだけど、そのうち一つがようやく片づきそう、と言いつつも、俺のやる気を俺自身が信じていないので、まだまだ予断は許さないし、ふわっとした話に留めておいて保険をかけてる。
> 10年以上同じ部屋に住んでると、そりゃああちこちガタがくるわけで、かといって引っ越すとするとそれが終の住処になりそうで、躊躇してしまう。
> こだま『夫のちんぽが入らない』を読んだ。「ふつう」でなければいけないという抑圧がいかに暴力的なものかが、ヒリヒリするような切実さとほのかなユーモアと共に綴られている。これって、ちんぽの話だけど、ちんぽだけの話じゃないよね。
> こだま『夫のちんぽが入らない』、読んでていて苦しくなるんだけど、一方で幸せな記憶というものも描かれている。「ちんぽが入らない私たちは、兄妹のように、あるいは植物のように、ひっそりと生きていくことを選んだ」。兄妹のように幸せであるというあり方もあるのだ。
> こだま『夫のちんぽが入らない』、シェルターのような小さな関係を「選ぶ」ということ。その尊さを思う。
> ♩別の世界では2人は兄妹だったのかもね~→cero / Orphans【OFFICIAL MUSIC VIDEO】 https://youtu.be/c_SLGBJgDNE @YouTubeさんから
> 『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』も『アナと雪の女王』も『夫のちんぽが入らない』も、俺にはつながっているように思える。
> 鳩山郁子『寝台鳩舎』読了。美しいなあ。絵が美しく、物語が美しく、タイトルが美しく、エピローグの2色刷りが美しい。時間の外側から世界を眺めるように、躍動する少年たちやはばたく鳩の姿をストップモーションや連続写真の手法で描く。流れ去る列車の窓は、フィルムのコマだ。
> 近藤ようこ『夢十夜』読了。夏目漱石の原作をマンガ化。黒い画面に白々としたものが浮かぶ。白い画面に黒々としたものが凝る。描き込みすぎない近藤さんのタッチが、漠とした夢の世界に合っている。どの夢も面白いけど、ラストで「遅さの夢幻性」が描かれる第七夜が特に好き。
> 松丸&小木のマジ歌、いいじゃん! 武道館が楽しみだ。

3/5
> Bunkamuraで今から映画。しかし、ここはいつ来てもなじめないな。
> 「Bunka」がハイカルチャーの顔してるのが苦手。
> ということで、祝Twitter文学賞、佐藤亜紀の『吸血鬼』読了。19世紀のポーランドの田舎に赴任した役人が主人公。おどろおどろしい伝説や叛乱の気配などがたちこめ、簡潔なのに濃厚な味わい。最後まで先の読めない展開で、謀りごととはこのようにやるのだよ、とエレガントに示してくれる。
> 佐藤亜紀『吸血鬼』、一篇の詩から始まり、その詩人の略歴を1ページほどでまとめ、20年後、その詩人の詩集を手にした女性のクローズアップからカメラが引いていくように物語が始まる。この冒頭部分の鮮やかさにうっとり。そして、カードが次々と裏返っていくような最終章の凄さ。

3/6
> ももももう一発いくかーい!? #ララランドみたいなことを言ってください
> 今年の卒業シーズンには、“水中、それは苦しい”の「ホタルイカの光」をオススメしたい。
> 何かを形容するときに、どうして「おもちゃ箱をひっくり返し」てばかりなのか問題。ゴミ箱でもいいじゃないか。迷惑だけど。裁縫箱でもいいじゃないか。危ないけど。
> 「びっくり箱をびっくり返したような」というのはどうだろう。
> チャイニーズボックス! 入れ子構造が出し子構造に、みたいな話ですね。って、自分でも何言ってるか、よくわかりませんが。
> 「おもちゃ箱をひっくり返したようなおもちゃ」とすると、さらにわけがわからないことになりそうです。しかもそんなおもちゃばかりを集めたおもちゃ箱を、またひっくり返してみたりして。

3/7
> 穂村弘『鳥肌が』読了。「私の人生を四文字で表すならびくびくだ」と語る穂村さんが、「こわいもの」について綴ったエッセイ。例えば知り合いの赤ちゃんを抱かされるとき、自分がそれを放り出してしまいやしないか、というような恐怖とか。穂村さんのエッセイは、テーマが限定されているほうが面白い。
> 「昔、外国で起きた連続殺人事件の記事を雑誌で読んだことがある。あるページに被害者の女性たちの写真がずらっと並んでいて、それを見た瞬間に鳥肌が立った。そっくりなのだ。全員、青い目に金髪のロングヘアーの真ん中分け。とくにこわかったのは真ん中分けだ」穂村弘『鳥肌が』より。
> 穂村弘『鳥肌が』で紹介されている、投稿欄に送られてきたゆにさんという人の短歌で、ゾッとするのがあった。これ。 ●「ねえ起きて」ほっぺを軽くはたかれて思えばあれが最初のビンタ
> 穂村弘『鳥肌が』、栞紐が紐じゃなくて3本の細いピンクの糸になっている。髪の毛みたいでちょっと気色悪い。表紙は鳥肌を表すぶつぶつがあるし、変なことする装丁だなあと思ったら、ああやっぱり祖父江さんだ。
> 穂村「サラダみたいな表現はダメだと思います。細かく切って、上手に混ぜてきれいに作っても、そこには本質的な変化が起こっていない」→ぼくのりりっくのぼうよみ×穂村弘「歌人・穂村弘と語る表現を考えるためのいくつかのヒント」 http://noahs-ark.click/conversation3/
> 書き忘れていたけど、日曜日はジャン・フランコ・ロージ監督『海は燃えている イタリア最南端の小さな島』を観てきた。アフリカや中東からの難民の玄関口といわれるランペドゥーサ島を舞台にしたドキュメンタリー。この島で暮らす少年とその家族、そして日々訪れる難民たちの姿が並行して描かれる。
> ジャン・フランコ・ロージ監督『海は燃えている』、島の少年ののどかな日常と、海を渡る難民たちの厳しい現実は、並行して交わることがない。島の人々のリクエストで曲をかけるラジオと、難民のボートと通話する無線は、違う周波数で語りかける。でも、本当にそうだろうか、というところに詩がある。
> ジャン・フランコ・ロージ監督『海は燃えている』、よくわからない不安でときどき息が苦しくなるという少年。ていねいにベッドメーキングをして「よい一日を」を願うおばあさん。この二つの場面の間に、救助された難民が血の混じった涙を流す場面が出てくる。これらは、交わらないが響き合っている。
> ジャン・フランコ・ロージ監督『海は燃えている』、難民たちが収容センターの中庭のような場所でサッカーをするシーンが印象深い。狂おしく切ない祝祭のような感じがして。あと、最初のほうに出てくるトマトのスープがえらく美味しそうだった。もひとつ、バイクの場面もいいな。

3/8
> カレル・ゼマンは、作品すべてが愛おしい。チェコの至宝。
> 電車の中でキャッキャとじゃれ合う、野球部と思しき男子たち。「じゃあさ、俺が、雪だるま作ろう、って言ったら、自転車に乗ろう、って返して」とかなんとか。なんかそーゆーの流行ってんの?
> 籠池理事長のエキセントリックさばかりが注目されてるけど、稲田朋美もかなりじゃない? 突如「安倍首相ガンバレー。安倍首相ガンバレー」とか言い出しそうで。
> 先々週に観た映画、ジェレミー・ソルニエ監督『グリーンルーム』。閉鎖空間で登場人物も少なくって絶体絶命のピンチになる、ってな映画、つまり「低予算の代わりにアイディアで面白くするぞ」ってな映画が好きなんだけど、この映画もまさにそれ。パンクスがネオナチ集団に襲われるって話。
> ジェレミー・ソルニエ監督『グリーンルーム』、ネオナチってファナティックなイメージがあるけど、この映画のボスキャラはワンマン経営者みたいな感じ。殺しも死体の後始末も「やっておけ」と人に命じて、自分は帰っちゃう。で、成功したらボーナスしくじれば減給みたいな。その卑小さが妙にリアル。
> ジェレミー・ソルニエ監督『グリーンルーム』、舞台となるライブハウスの楽屋にずーっと死体が転がってるのが面白い。立て籠ってるから死体を処分できないの。この手の映画では「目の前にあるものはすべて使え」がセオリーだから、もちろんこの死体にもちゃんと活躍の場がある。
> 『グリーンルーム』には、凶暴な犬が出てくるんだけど、『ドント・ブリーズ』『手紙は憶えている』と、ネオナチ的なキャラクターには猛犬がつきものなんだろうか。あと、パンクスってケンカが弱そうなところがいいよね。そのくせ、変にやせ我慢したり挑発的なことをしたり。
> そういえば、ギャビン・オコナー監督『ザ・コンサルタント』についても書いてなかったな。会計士のベン・アフレックが実はすごい殺し屋で…、ってな話。けっこう複雑な話なんだけど、ピタリピタリとピースがはまっていくのが気持ちいい。へこんだ水筒と、ポーカーをする犬、そしてラストのアレも。

3/9
> なんでもかんでも「コンテンツ」としてしか捉えないから、アナ雪のエンディングに勝手な映像を流したり、サチモスについて「ぶっちゃけジャミロクワイです」てなことを言ったりしちゃうんじゃないかと。
> 「コスプレ右翼」ってのは、言い得て妙だな。右っぽいもののカット&ペースト。これもコンテンツ化のひとつじゃないかと。
> 誰かが口笛を吹いているのが、どこからともなく聞こえてくる。この曲は…あ、「ペーパームーン」だ。
> 「遅日」という季語を覚えた。

3/10
> 寝る前に飲むべき花粉症の薬を、うっかり朝食後に飲んじゃったせいか、眠たくて眠たくて震える。
> この間は、風呂場ですべって尻もちついたし、今からこんなんだと老人になったときにはどうなっちゃうのか心配。
> モーレツ眠太郎。
> ねむた祭り。

3/11
> 6年前に作ったうた。 ●わたくしは水滴である全身を震わす犬にしがみついてる
> 6年前に作ったうた。 ●その人の名前は夜、寝返りをうつ世界へと毛布をかける
> その後、こんなうたも作った。ポポポポ~ン、覚えてますか? ●あいさつの魔法は解けてお別れにありがとウサギ食べるライオン
> それほど読んでるわけじゃないんだけど、東欧文学って惹かれるんだよね。フラバルの「あまりにも騒がしい孤独」ってフレーズに、シビれたり。圧政の下で育まれた、奇想や実験やユーモアは、俺に勇気をくれる。
> クーリンチェはあとにとっておくことにして、これからコクソン大魔王。
> しかし、最近都内の映画館に行くと、30分前に到着してもけっこう席が埋まってたりする。
> 『コクソン』が156分、『バンコクナイツ』が182分、『クーリンチェ』が236分。観たい映画が、ことごとく長くて、観たいけどいろいろ大変。
> 長い映画はトイレが混むの法則。
> ぐあー、『哭声 コクソン』ヤバかった。もう終わるか、もう終わるか、と思ってるのに終わらず、えげつない展開でもって2時間半ギリギリと締め上げられる。エンドロールで、あちこちからため息が聞こえた。もちろん俺も、やっと解放されたいうきぶんで、ふーっとひと息。つまりは、すげえ面白かった。
> いやあ、もうぐったりですよ。新宿はほぼ満席でした。で、客席が固唾を呑んでるのが伝わってくる。おすすめっす。
> 宇多丸さんも町山さんも、映画について楽しそうに語るところがいいですね。それを聞くことで、映画について語り合うのって楽しいんだな、とみんなが気づくんじゃないかと。
> サンドウィッチマンは素晴らしいな。ホント、頭が下がる。→被災の子、きっと強く優しくなれる サンドウィッチマン(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170311-00000048-asahi-soci… #Yahooニュース

3/12
> 初めてのビルボードライブ東京。雰囲気に呑まれている。
> 小島麻由美のライブ「JIVE! JIVE! JIVE!」昼の回を観てきた。会場はビルボードライブ東京。ジーンズにスニーカーで行っちゃったことを後悔するようなアダルトな雰囲気に負けそうになるも、ライブは素晴らしかった。あんなちゃんとした座席じゃなけりゃ、確実に踊ってたと思う。
> 小島麻由美ライブ、バックが勝手にしやがれ+塚本功+DUB MASTER Xという布陣で、いつもよりもルーディな印象。それにしても、勝手にしやがれ、カッコいいな。これまでライブで観たコジマユの中で一番好きなノリ。特に武藤昭平のドラムがいい。演奏がイカす上に、ライブで絵になるドラム。
> 小島麻由美ライブ、「セシルカット・ブルース」のホーンにシビれ、「恋はサイケデリック」のドラムにシビレる。そして、ジンタのようなアレンジの「さよならカエル」にびっくり。塚本功のソロコーナーは、みんな大好き「キャラバン」。勝手にしやがれとのコラボで、ぶっとくぶっとばしてた。
> 昨日の『哭声 コクソン』のせいで、勝手にしやがれの武藤さんがときどき國村隼に見えた。

3/13
> 「ヒムケン先生」、ケブくんがついに野球チームに。しかし、このチームの監督すごいな。そもそも、しごいて伸ばす、ってのがあまり好きじゃないんだろうな。ヒムケン先生の「7褒めて3叱る」というオーダーを、自然に実行している。「監督…なんか、ありがとうございます」と日村さん。

3/14
> Twitter文学賞の動画を見終えた。ああ、本の話は楽しいなあ。字多丸さんのラジオとかで「映画について語る楽しさ」が多くの人に共有されているように、本について語る楽しさも 広まって欲しいな。→Twitter文学賞2017 結果発表会 https://youtu.be/WRu_3aOrOjQ
> 結果はこちら。上位作品以外も、実に魅力的なリストリストになっている。未読の1票作品では、大森望さんオススメの法月綸太郎『挑戦者たち』が気になる。https://twitter-bungaku-award.theblog.me

3/15
> なんか、連日えげつない関西弁を聞かされてる気がする。
> 高橋健太郎さんに、まったく同感。現政権が、言葉や論理をないがしろにすることにためらいがないことが恐ろしい。
> 俺が森友のニュースで思うのは、右派というか日本会議やネトウヨ的なものが凝縮されているということ。自分や配偶者が弁護士を務めていた相手を表彰するとか、気色悪いよ。お互いにもたれ合って金を回して思想をぐつぐつ煮詰めてるイメージ。そのくせ、問題になったら手のひら返しの尻尾切り。
> 森友を応援したり関わったとされる文化人や政治家の顔ぶれを見ると、ほとんどオールスターキャストじゃん。その彼ら彼女らが、今や揃いも揃って騙されたとか言ってるわけで。
> この間観た映画、ナ・ホンジン監督『哭声 コクソン』、ノワールともオカルトともつかない、異様な作品だった。こーゆー映画かなと思って観てると、その思い込みを修正させられるような展開が何度も何度も訪れる。終盤には、俺はいったいどこに迷い込んじゃったんだってくらいの酩酊感。
> ナ・ホンジン監督『哭声 コクソン』、主人公と一緒に観てる俺らも翻弄されまくるわけよ。で、何を信じればいいんだよー、となったところで、「お前のその選択は正しいか?」と突きつけられる。むりだよー。そんなこと言われても、むりだよー。ごめんなさい、もう勘弁してー。ってな叫びたくなった。
> ナ・ホンジン監督『哭声 コクソン』、とにかく國村隼の存在感ね。無表情で時折うっすら笑みを浮かべる。感情表現の激しい韓国映画の中で、あの静かさは非常に不気味に映る。祈祷師役のファン・ジョンミンの、微妙なうさん臭さもよかった。私服がジャージかよってな場面とか。
> ナ・ホンジン監督『哭声 コクソン』、出てくる家のたたずまいがいちいち映画的で素晴らしかった。主人公の警官の家のコの字型の構造とか、國村隼の家の縁側と庭の感じとか。あと、冒頭のどしゃ降りもすごかった。あれは、本気の雨だ。
> ナ・ホンジン監督『哭声 コクソン』、どくろのようなドライフラワー、多すぎる小石、テレビの野生動物、突然の落雷。怖がっていいのか笑いっていいのかわからないけど、明らかに異様なディテールの数々が気になる。あ、祈祷の場面もだ。あのカットバックもテンションが高すぎて、こわおかしい。
> そういえば、『コクソン』にも猛犬が出てきたな。最近、映画の中で犬に襲われてばかりいる気がする。
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