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革命歌作詞家 乞食夫婦 火夫 水夫 園丁 かたる塚本 [レビュー]

みんなついてきてるかな? まだまだ続く、塚本メモ。
塚本邦雄の、第二歌集『裝飾樂句(カデンツア)』は、冒頭からこんな歌が並んでいる。
●五月祭の汗の青年 病むわれは火のごとき孤獨もちへだたる
●水に卵うむ蜉蝣(かげろふ)よわれにまだ惡なさむための半生がある
●われの戰後の伴侶の一つ陰儉に内部にしづくする洋傘(かうもり)も
「われにまだ惡なさむための半生がある」。すごいことを言う。この断言口調を、「病むわれ」と照らし合わせると、悪をなすまでは死なないとう宣言のように思える。その武器は黒々としたこうもり傘か。
ってところで、「あれっ?」と気づく。その前の第一歌集『水葬物語』には、こーゆー歌はなかったよなあ。ってんで、「現代詩文庫」の『塚本邦雄歌集』をパラパラとめくる。おお、「われ」が出てくる歌がほとんどない。
じゃあ、誰が出てくるのか、ってのが今日のお話。

●革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ
これが、『水葬物語』の冒頭の歌。革命歌作詞家、登場。地下酒場のような場所で、レジスタンスたちが大声で歌っているシーンを思い浮かべる。やがて、ピアノからぴちゃぴちゃと液がしたたり始め、最後には黒い水たまりが残される。そんな風にして、革命はぐずぐずと潰えていくんだろう。このピアノが液化するっていうイメージは、強烈だね。あと、勇ましい「カ」音の響きが、徐々に崩れていくあたりにも注目。
●ダマスクス生れの火夫がひと夜ねてかへる港の百合科植物
「火夫」ってのは、石炭をくべるなど、火を扱う職業のこと。ダマスクス生まれってことは、褐色の肌をしているのかな。もひとつ、「港の百合科植物」ってのは何なのか? これは、水夫相手の娼婦でしょう。夜の濡れた舗道。街灯の下で、エキゾチックな火夫を誘う、白い肌をした娼婦。ただ一夜の交わり。フランス映画のワンシーンのようだ。百合の剥き出しの雌しべにエロティックな匂いを嗅ぎ取り、海百合の手招きするような動きも脳裏をかすめる。「百合」じゃなくて「百合科植物」ってところが、素晴らしい。個の名前じゃなく、ただ「娼婦」として認識される女たち。
●ヴァチカンの少女らきたりひしめける肉截器械類展示會
ダマスクスの火夫の次は、ヴァチカンの聖なる少女たち。おそらく純潔の乙女。「肉截器械」ってのは、ミンチ器の類かな。その展示会場に彼女らは向かう。拷問具や処刑具のような料理器具を、一心に見つめる少女たち。獣の肉を切り刻む様を想像しているのか? それとも、自分がミンチにされる様を想像しているのか? きっと両方だね。「ひしめける」は、「肉截器械類」にも「少女ら」にもかかっているように読めるところがミソ。会田誠のミキサー少女の絵を思い出したりして。
●當方は二十五、銃器ブローカー、秘書求む。――桃色の踵の
銃器ブローカー、登場。「當方」は「当方」。つまり、これは求人広告のパロディ。彼が欲しがっているのは、実は秘書なんかじゃなくて桃色の踵だ。スーツをスマートに着こなす青年。その笑顔の影に隠れた、武器と女へのフェティッシュな欲望。固くて黒い銃と、柔らかいピンクの踵。銃はもちろん、アレですよアレ。ジョン・コリアあたりの、ブラックユーモア短編小説の味わいかな。
●ひる眠る水夫のために少年がそのまくらべにかざる花合歓
水夫・少年・花合歓の構図が、まるで絵画のようにピタッと決まった歌。この歌集の火夫や水夫が出てくる歌は、みんないいね。カーテンを透かして射し込む陽射し、夜の出港までひと眠りする男の肩のシルエット、そして淡い桃色の合歓の花…。「眠る」と「合歓」が響き合って、ネムネムとゆるやかな時間が過ぎてゆく。それにしても、荒くれた海の男と植物の取り合わせは、どこかエロティックな匂いを感じさせるね。港の百合科植物、そして花合歓。「合歓」という字を、「歓びを合わせる」と読み変えてみたりして。
●園丁は薔薇の沐浴(ゆあみ)のすむまでを蝶につきまとはれつつ待てり
これが、『水葬物語』最後の歌。園丁、登場。薔薇に水をやっているシーンだと思うけど、「薔薇の沐浴」って表現が美しい。ホースから飛び散る飛沫が、花弁に輝く露の玉になる。園丁の顔は麦わら帽子に隠れて見えない。その周りをチラチラと飛び回る蝶。薔薇と蝶、どちらにも擬人法が使われているせいか、何だか不思議な三角関係のようだ。「待てり」の語に、薔薇と蝶の間に立つ宙ぶらりんの時間が表されているように思う。まるで永遠に続くかのように思われる昼下がりだ。

というように、「われ」の代わりに、この第一歌集には様々な登場人物が出てくる。そのきらびやかな多彩さは、とても魅力的だ。
●輸出用蘭花の束を空港へ空港へ乞食夫婦がはこび
●貴族らは夕日を 火夫はひるがほを 少女はひとで戀へり。海にて
●みづうみに水ありし日の戀唄をまことしやかに彈くギタリスト
他にも、市長、大工、マリア、偽ハムレット、騎士、コキュ(寝取られ亭主)、馭者、媚薬売りなどなど、まるで人物図鑑のようだ。前に挙げた、アルバトロスの皇帝もいる。しかもどこか無国籍。この徹底した虚構性が、『水葬物語』の特徴だと思う。つまり、「物語」なんだよね。一つ一つの言葉にこめられた意味を探り、時に深読み、時に誤読も交えながら、「何故ピアノは液化するのか」「百合科植物ってのは何なのか」「園丁と薔薇と蝶の関係はどうなっているのか」と推理していくのは楽しい。そうすると、1首の背後に、幾重にも折りたたまれた物語が見えてくる。わずか31音の短編小説だ。
でも、お気楽な作り話ってわけじゃないんだよね。その底には、現実への強烈な違和感があるんだと思う。青年塚本邦雄は、「われ~なりけり」とかなんとか、ちっぽけな日常をチマチマ詠んで悦に入っている短歌が我慢ならなかったんだよ。むしろ文学はフィクションであって当たり前じゃないかと。もちろん、そこまで単純化して言えない部分はあるだろうし、今となってはそんなことは言わずもがなって気がするかもしれないけど、当時としては新たな方法論を突きつけたわけよ。その若々しさに、俺はグッとくる。
この日常性への憎しみが、第二歌集で「われ」とともに描かれる、「火のごとき孤獨」や「惡なさむための半生」「陰儉に内部にしづくする洋傘」につながっていくんだろうけど、それはまた別のお話。
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MichelleGriffith

なので、 判断軸を自分で発見し、自分でルールを設定して、判断を下すことができます。 例えば、2045年に人工知能が人間の思考能力を超える「シンギュラリティ(技術特異点)」が起こると言われていますが、それもこの 「レベル4」の人工知能が開発されることで、人間の手を離れたところで学習能力を身に付け、発展させられるようになると考えられているから なのです。 <a href=https://jamedbook.com/2904-2/>https://jamedbook.com/2904-2/</a> うつ病は社会病ともいえるのでは?うつになりがちな生活習慣に陥りやすい労働や学習形態の多い社会システムの問題も大きい。 個人としては、そんな社会の罠、個人の在り方に注意深くなり改善へと動くこと、社会としては、福祉や企業、学校への監視と改善指導を充実させて、無理な生活形態、たとえば睡眠不足、それにつながる日中の外出や運動がしにくい事などや、不自然な精神状態を市民がおしつけられない制度保証をすることも大切だろう。
by MichelleGriffith (2018-11-21 20:11) 

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